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TCI中興の祖
TCIは、ボブ・マグネスが1955年に創業した会社である。その後、組織の再編などがあって、1968年には、現行の体制の基礎ができた。
本社は、コロラド州デンバー。TCIは、テレコミュニケーションズ・インクの略称だ。
今でも、ボブ・マグネスは、TCIのボード・メンバーであり、会長であり、筆頭株主でもある。ジョン・マローンがCEO(最高経営責任者)となるまでの、先代のCEOだった。元牧場主で、牛を売った金でTCIを興した。しかし、とびきりの経営の才覚などはなく、左前になった時に、ジョン・マローンをスカウトしてきた。
ジョン・マローンは、1973年、TCIに参加。同年、TCIの社長兼CEO(最高経営責任者)に就任した。
よくスカウトできたものだという噂が、その当時はもっぱらであった。ボブ・マグネスの使命は、ケーブルテレビの未来を信じた直感と、ジョン・マローンをスカウトできた幸運の中で、100%成就したと考えていいだろう。
ここから後は、ジョン・マローンの物語である。
ジョン・マローンは、1941年3月7日に生まれた。
エール大学を優秀な成績で卒業したジョン・マローンは、エリート技術者で、ベル研やマッキンゼーにも籍を置いたことのある人間である。その後、ジェネラル・インストルメントに移籍するが、その1部門であるジェロルドの社長までいった。そんな有能な男が、つぶれそうだったTCIによくトラバーユする決心がついたものだ、といわれたのである。
ジェロルドは、ケーブルテレビ局用システムの全米有数のメーカーである。その仕事上のつきあいの中で、ジョン・マローンは、ワーナー・コミュニケーションズのトップであるスティーブン・ロスに、一目、置かせることになった。そして、スティーブン・ロスは、ジョン・マローンに、ワーナーも始めたばかりのところだったケーブルテレビ事業の責任を任せたい、と申し入れたのである。
しかし、ジョン・マローンは、これを断わった。家族を、ニューヨークではなく、どこか別の場所へ連れていき、新天地を拓きたいと考えていたからである。
ジョン・マローンは、本来マローン博士と呼ぶべき人物である(ジョンズ・ホプキンズ大学で、産業工学分野のオペレーションズ・リサーチをテーマに博士号を取得している)。しかし、彼は、その知性以上に卓越した動物的嗅覚に恵まれていた。よほどの読みと豪胆と時代的感性がなければ、アメリカのケーブルテレビ勃興期に、あそこまでの才覚を発揮できるはずがない。
70年代は、横紙破りでTCIがのびた時期である。
60年代の末から70年代の初めにかけて、アメリカではしきりに「ワイヤード・シティー構想」というものが唱えられた。いうならば、同軸のケーブルが各家庭にはいって、ケーブルテレビでさまざまなチャンネルに自由にアクセスすることができるようになり、人生はもっと素晴しいものになるという構想で、何やら現在のスーパーハイウエイ構想に酷似していなくもない。
70年代の初頭といえば、アメリカでは、ベトナム戦争の影響もあり、また大都市の荒廃化現象も進みつつあった時期だ。タバコの広告も禁止されるなどあって、地上波のテレビそのものが陰りを見せていた時代であった。
こういう時代背景の中で、ケーブルテレビの株はあがりつつあった。押すな押すなで、新規参入を企てる企業があとを絶たなかった。
ケーブルのフランチャイズ権は、各自治体が与えるものだったが、そこで適用されたのは「The
most and the
cheapest の原則」と呼ばれるものであった。要するに、できるだけ多くの番組をできるだけ安く提供しようという計画を示した事業会社に、権利を優先的に与えるという原則である。そういう狂騒的な雰囲気の中で、無理して権利を取得した会社も多かった。
自治体によっては、事業会社に権利を与えるかわりに、にらみで、グリーン・ベルト整備の金を拠出させたり、市民病院を建設するための資金を負担させたりすることもあったといわれている。
こういった浮かれ騒ぎの世の中を、ジョン・マローンは冷ややかに眺めていた。無理して権利を仕込んだ会社の中には、まもなく、経営がおかしくなってしまうところも多かった。身売りをしたい企業が、少なからず出てきたのである。そこを買い叩いて、安く仕込むことに目をつけたのが、ジョン・マローンであった。しかも、ちょっと郊外の、どちらかといえば弱小の局を買い集めて回ったのである。
そういう冷徹なビジネス手腕を支えた、金融のプロもいた。ビル・ダニエルという人物で、通称「ケーブル銀行」と呼ばれているビル・ダニエルズ&アソシエイツのオーナーである。本拠地は、やはりデンバーにあった。ジョン・マローンに資金援助をしたのである。
こうやって買い集めた局が束ねられて、徐々に、TCIのMSO帝国ができあがっていったのである。
MSO(マルティプル・システムズ・オペレーター)というのは、単一事業会社によるケーブルテレビ局の複数支配のことで、通常は、そういった複合経営体それ自体を指すことが多い。TCIなどの巨大MSOの場合には、全米に散在する局を、それこそ強力な鵜飼のひもで集権的にしばりあげているようなものである。ひとつひとつの局が鵜で、マネーという名前の魚を、水中からさらっては、次から次への船の上に吐き出してくれる。
デンバーの郊外に立地する、さるCATV局での話。ジョン・マローンの経営する局だった。自治体のある規制に従わないということで制裁を受けそうになったジョン・マローンは、これに猛烈に反対。画面を真っ白にするという対抗措置を、ジョン・マローンはとった。そして、「このことに不満のある方は、行政当局に抗議されたい」という非難キャンペーンを続けて、結局、自治体側に白旗をあげさせることに成功した。ジョン・マローンの猛烈ぶりを伝えるエピソードのひとつである。
70年代の後半になると、タイムがHBO(=ホーム・ボックス・オフィス。映画専門チャンネル)を開始し、ワーナーがMTV(=ミュージック・テレビジョン。24時間音楽専門放送。その後、バイアコムに売却)を始めるなど、有力番組ネットワークが登場してきた。
しかし、しばらく、ジョン・マローン自身は、番組供給事業には手を出さなかった。徹底した禁欲ぶりだったのである。
CATV局の運営企業にとって、番組は死活の問題である。ただ、このことは、どのCATV局にとっても平等な条件である。
ケーブルテレビ局にとっては、広告収入と加入世帯からのあがりが、2大収入源だ。そして、加入世帯からの収入の一定比率を、番組供給会社に支払わなければならない。経営的には、したがって、より多くの受信世帯を獲得し、より多くの広告収入を広告スポンサーから取り、そしてより少ない支払いを番組供給会社に、ということに尽きる。
ジョン・マローンは、番組供給会社との交渉で、タフ・ネゴシエーターぶりを発揮した。グループとしての加入世帯数が圧倒的に多いことを理由に、ベスト・レートを要求したのである。
べーシック・フィー(ケーブルテレビの基本受信料)からの割当分として計算されるサブスクリプション・フィー(番組利用料)の水準は、番組の人気度、供給会社の事業の性質、売り手と買い手の力関係などによって決まってくるが、人気のESPN(スポーツ専門チャンネル)などで月、1人あたり15セントだ。5セントとか、1セントのプログラムもある。
宗教チャンネルや、HSN(ホーム・ショッピング・ネットワーク)などは、タダである。HSNなどショッピング・チャンネルでは、むしろ取引の成立額に対して一定率を局側に還元するシステムとなっている。そういうわけで、局側のメリットも大きいので、番組表を見たら、ショッピング・チャンネルだらけということにもなりかねない現況だという。
マローン・マジック
TCIは、今や、全米最大のMSOである。
既に、その加入世帯数も1千万を超えており、番組供給会社に対して絶大な交渉力を有している。つまり大口割引を引き出しやすい立場にある。この業界では、加入世帯のことをシートと呼んでいるが、ジョン・マローンの戦略は、ひたすらシートの数を1席でも多くするということにあった。これが、経営上の最大の優先順位とされてきた。席数さえ稼げれば、あとはかなり有利にゲームを展開することができるからである。いい換えれば、そのためには手段を選ばないという雰囲気もある。
こうして、ケーブルテレビ・ビジネスで、かなり相対的に有利なゲームのルールブックを、TCIは作りあげることに成功した。
それを踏まえてようやく、というべきだろう───TCIも、最近になって自社グループで、番組ネットワークの経営にも力点を置き始めている。
その番組供給部門を、1991年、別個の組織として独立させている。スタートさせてから2年の、迅速ぶりであった。リバティー・メディア・コーポレーションの誕生である。リバティー・メディアの設立は、ジョン・マローン個人が保有するリバティー・メディア株式に5億ドルを超す膨大な含み益をもたらした。たいへんな錬金術師である。
このリバティー・メディアの実務的な任務には、以下のようなものが含まれている。
- ■TBS(ターナー・ブロードキャスティング・システム)への出資
- ■ディスカバリー・チャンネルへの出資
- ■ザ・ファミリー・チャンネルへの出資
- ■コート・テレビ(裁判専門のテレビ)への出資
- ■プライム・スポーツへの出資
- ■その他の有望番組供給会社への出資
住友商事メディア事業本部でケーブルテレビ事業を見ている西村泰重によれば、リバティー・メディア設立の最大の目的は、独占禁止法対策であった。
「リバティー・メディアを通じての事業支配の眼目は、経営権の確保というより、むしろ純投資利益をあげること、および番組供給会社の健全な育成をはかることに置かれていた。その典型が、TBSへの出資であろう。TBSが一時、資金難に陥った時、TCIは、タイム・ワーナーなどと連携しつつ、出資の意思決定を行なったのである」
一方、TCIは、海外での事業拡張にも、忙しい。ヨーロッパやニュージーランドには進出済みで、中南米とアジアが次のターゲットとなっている。たとえばイギリスでは、USウエストと折半出資で、CATV・電話事業兼営のテレウエストを設立しており、出だし好調である。規制の緩やかなイギリスで、ノウハウを蓄積することが狙い。
プログラマー(番組供給者)としても、ジョン・マローンには、世界制覇の野望がある。こう書くとパワー・ゲームの亡者のごとくにも見えるが、最大のポイントは、実のところ、<スケール・メリットにより番組の供給コストを下げる>というマーケティングの教科書に書いてあることを、いかに忠実に実践できるかだろう。ジョン・マローンは、これまでは、その教則本に従って、ものの見事にTCIの水先案内人役を務めてきている。
1993年5月30日のニューヨーク・タイムズの記事で、ジョン・マローンは、次のように表現している。
「(やがて)ケーブルテレビのプログラマー(番組供給会社)は、ハリウッドのスタジオのようになるだろう。(品質の高い番組を供給しようと思うならば)その番組の配信対象は世界のマーケットでなければならない。さもなければ、ソロバンが合わない」
辣腕のジョン・マローンには、一部に、金権亡者ではないのか、ビジョンはあるのか───といった批判がある。
ジョン・マローンに何度か会っているNHK放送文化研究所客員研究員の山口秀夫は、しかし、こんな風に伝えている。
「質問を投げかけると、まず青い瞳でジッとみつめ返される。相手を魅了する力を持った人である」
1992年の年末近くに、山口秀夫が日本からの視察団を連れて、TCIのオフィスを訪問した時のこと。会合の時間になって急ぎの電話につかまり、ジョン・マローンは、遅れてミーティング会場にはいってきた。すると、いきなり愛想よくみんなに名刺を配って回ったのである。
聞いてみると、ジョン・マローンがとっていた電話は、ルパート・マードック(ニューズ・コーポレーション・グループ総帥)からのものだった。ルパート・マードックが買収したテレビ・ガイドの電子化に関して、打ち合わせていたのだという。
この視察団は、日本のCATV関係者14〜5人を連れて、山口が団長として引率したもの。企画の主体は、CATV研究資料センターで、ツアーの名目は「ウエスタン・ショー研究視察」というものであった。アナハイムで開催されたウエスタン・ショーを見た上で、デンバーのTCI本社などを個別訪問した。
TCIがVOD(ビデオ・オン・ディマンド)の実験をやっているというので、一行はその現場を見せてもらったが、まだ本格的な施設が整う前のことで、いわゆるソフトのニーズを探るためのリサーチを行なっていた段階である。舞台裏では、少年たちがテープの交換で忙しく走り回っていたそうである。
テレビ・ガイドは、ルパート・マードックがアンネンバーグから買ったものだったが、テレビのチャンネルがどんどん増える一方なので、とてもこのまま紙の印刷物でいくわけにはいかないだろう、という問題意識があった。テレビ・ガイド・オン・スクリーンのようなものを作りたいと考えたのである。
このテレビ・ガイドは、アメリカでは隠れた大ベストセラーであり、一時は2千万部を超えたこともあった。だがケーブルテレビ・ブームともいうべき世の中の動きに一時キャッチ・アップできず、発行部数が1千万部強にまで低下した時期があった。しかしながら、その後、ケーブルテレビ関係の情報を増強するや、またしても人気が回復し、現在は、1400ー1500万部の水準にある。
TCI対タイム・ワーナー
パイオニア出身で、現在、杉並ケーブルテレビの企画部長である古川元は、TCIとタイム・ワーナーの特徴について、次のように対比してみせてくれた。
「タイム・ワーナーのMSOは、比較的大きな局の集合体であるが、TCIの場合は、主として地方の比較的小規模なケーブル局を集めたという感じである。局単位のランキングを見ると、TCIの構成局のうち最大のものでも、ようやく15位につけている程度であるが、タイム・ワーナーのMSOの場合には、トップ10までにその構成局が3局もリスト・アップされている」
TCIとタイム・ワーナーは、ともに1〜2を争う、アメリカのCATV業界の雄である。しかし、両者には際立った違いがある。それは、基本的な経営方針の違いによるものだ。
TCIは、鉄の規律の会社である。プログラミング(番組編成)の細かいところにいたるまで、すべてが中央統制されている。あまりのしめつけの厳しさに、やめていくプログラマー(番組編成責任者)も多いのである。TCIには、ジョン・マローンというひとりのプログラマーしかいない、といういい方もできるほどだ。
たとえば、TCI系のTDC(ザ・ディスカバリー・チャンネル)を、ジョン・マローンは、どこでも必ずロー・チャンネル(地上波であれば2〜6チャンネルぐらいまで、多チャンネルCATVであれば1〜30チャンネルぐらいまでのチャンネルのこと。それ以上の数字の大きいチャンネルは、ハイ・チャンネルと呼ぶ。ハイ・チャンネルは、一般的にアンテナもよくなく、画質も悪い)に設定した。これなど、TCIが、徹底的な中央集権だったからできたことである。(ちなみに、地上波の世界では、アメリカには1チャンネルがないので、2が筆頭チャンネルである。CBSが、その筆頭チャンネルである2チャンネルを、一時、全部押さえたこともあったが、ロー・チャンネルは、その時代、時代の放送局の力の象徴でもある)
一方、タイム・ワーナーは、ディセントラライズ(権限分散)した典型的な会社である。タイム・ワーナー傘下のCATV局では、比較的自由な経営の気風がいきわたっている。その結果として、タイム・ワーナーには、多くの優れた番組編成のプロが育てられ、いついている。
「アメリカにCATV局は1万1千あるが、地上局での番組編成のプロを基準に考えるならば、CATV業界にはまともなプロは50人いるかいないかである」といわれることもある。それくらい、優秀な番組編成スタッフを抱えるのは難しいことなのである。
シルバーマンがCBSをやめて、ABCに移籍するや、ABCの業績が3位からいきなり1位におどり出たように、才能ある番組編成マネジャーが放送局の業績に与えるインパクトは、実に大きい。
古川元が、アメリカのケーブルテレビ市場と第3次接近遭遇(あるいは<未知との遭遇>)したころのことについて、教えてくれた。
「パイオニアが企業としてCATV事業に着手したのは、1973年のことであった」
不思議なことに、ジョン・マローンがTCIに参加した年のことである。
「パイオニアには、ワーナー・グループとの間に、ワーナー・パイオニアという合弁事業があったが、その時点では、ワーナーですらも、CATV関連事業を始めてまだ6〜7年しかたっていなかった。
私が、CATV関連の仕事を命じられたのは、1975年になってからのことであった。アメリカでは、CATV建設の新規計画が目白押しだったころである。その施設の中で、トランク・アンプ(幹線増幅機)をやらないかということであった。そこで、試作機を作った。
しかし、そこにやってきたのが、あの第1次石油ショックであった。
その余波を受けて、残念ながら、新規の設立計画は、ほとんどが流れてしまった。
当時、パイオニアは、まだ基本的にはステレオ屋であり、それ以上のものではなかった。パイオニア・ブランドの指名買いが多く、作れば売れたいい時代であった。FMチューナーでも100メガ級の伝送レートを扱うわけで、技術的に、次は1ギガ帯が射程にはいっていたとしても不思議なことではない。
センター側と宅内をやり、その次は双方向のアドレサブル技術(加入者ごとに割り当てられた固有番号を利用したデータ送受信技術)だということになった。
当時、もう先方の名前は、ワーナー・ケーブル・コミュニケーションズ(WCC)であった。双方向のCATV技術の共同開発のために、WCCとパイオニアがチームを組むことになったのである」
双方向技術の開発は、決して最近になって始められたものではない、という点に特に注意を喚起しておきたい。
「開発したのは、多チャンネルの双方向システムで、QUBEシステムと呼んだ。立体のCUBEに、何が出てくるかわからない玉手箱の謎(Question)をかけて、QUBEというネーミングにした。
30チャンネルのシステムを完成させたのが、1977年のことであった。そのうち10チャンネルがペイ・チャンネル(PPVを含む)だった。しかし、端的にいって、時期が早すぎた。
時代のインフラとしては、とてもとてもそこまでは要求されていなかったのである。むしろ、今こそようやく、チップの集積度からも、時代の要請ということからも、QUBEの技術にふさわしい環境が整いつつあるといえる。
ともあれ、この1977年のQUBEが、LSIがホームにはいった世界で最初のシステムになったのである」
その古川元が、パイオニアから出向する形で、住友商事とTCIのタイ・アップにより誕生した杉並ケーブルテレビの企画・編成を担当している。感銘を与えるめぐりあわせである。
今でも、タイム・ワーナーは、パイオニアのアドレサブル・システムを利用している。一方、TCIは、アメリカでは、ジェネラル・インストルメントのシステムを利用している。
しかしながら、TCIは、海外市場ではもっと柔軟な組み合わせを追求していこうとしているようである。
TCIは、タイム・ワーナーとMSOとして東西の横綱をはりあいつつも、インタラクティブ革命といわれるケーブルテレビ界の急速な変化に適切な対応をするためには、ケーブルテレビ市場それ自体の地位を向上させることこそ、最大の優先事項だと割り切っているように見える。セガ・オブ・アメリカと、両雄あいまみえる形で、競うように提携関係にはいったのも、その証左である。
さしずめ、シェア戦争は、パイの拡張と平行して進めるべし───ということだろう。
ベル・アトランティックとの幻の提携
アメリカに7つある地域電話会社のひとつベル・アトランティック(本社=ペンシルバニア)が、TCIおよびその傘下のリバティー・メディアを買収すると発表した時、世の中で驚かなかった人間はいない。
最初、日本の新聞に発表された時、それは買収額460億ドル、空前絶後の買収劇になるであろうというキャプションが踊ったものである(産経新聞、93年10月14日)。そこには、こんな風に書いてあった。
「合併には米独占禁止法上の問題が残されているが、全米を光ファイバーなどの通信網で結び、高度情報化社会の創出を打ち出しているクリントン政権も全面的に支援するとみられ、・・・。新会社は・・・全米の42%の家庭にアクセスが可能とされている。・・・」
実に、奇妙な記事であった。しかし、この買収劇に関する報道記事は、その後、少しずつ買収額が下方改訂されていった(同じ産経新聞の94年2月26日の記事には、何の注釈もなく「120億ドル」と記されている)ことを除いては、基本的に、このトーンを一貫して保っていたといって間違いない。文字通り、両者の破談が正式に伝えられるまではである。
しかし、何が奇妙といって、いかにアメリカが情報スーパーハイウエイに血道をあげるといっても、特定の企業グループの動きを、業界他社とのバランスを抜きにして、クリントン大統領が支援するなどというようなおとぎ話が存在するはずがないではないか。
もうひとつ、42%もの家庭市場を支配する情報通信・放送企業が、AT&Tの分割(1984)後あらためてアメリカで誕生しうると考えるほどには、独占禁止法の理念はヤワではない。市場シェアが25%を超える前あたりから、アメリカでは独占禁止法の議論が取り沙汰されるのが常識だという。にもかかわらず、禁制の25%を大幅に超える42%があるいは許されるかもしれないと、どんな根拠で、誰が、いったい夢想しえたのだろうか。
この2社間の協議はまもなく決裂を迎えることになった(94年2月23日に決裂した、と報道されている)が、その理由として指摘されたのは、FCC(連邦通信委員会)がケーブルテレビのレートを下げるよう指示したため、TCIの株価が軟化し、したがって買収側のベル・アトランティックがTCIの資産価値にもはや幻想を抱きえなくなったためである、ということだ。マスコミは、いっせいにこの解釈に飛びついた。
しかしながら、ウォールストリート・ジャーナルの94年3月21日の記事(「ザ・プレイヤーズ」)にもある通り、証券アナリストの多くは、「それでもケーブルテレビ関連株は、長期的に強含みだ」という見解を明らかにしている。
議論として、あまり整合していないのである。
金融関係専門のある友人は、「独占禁止法抵触で、その筋から横槍がはいったこと以外に考えられない」とコメントしてくれた。
はたして、そうなのか。ジョン・マローン自身は、どう解釈しているのだろうか。
住友商事の理事で、TCI担当でもある西村は、ベル・アトランティックによるTCI買収構想が明らかになった時、「これまで誰の軍門にもくだることのなかったジョン・マローンが、ベル・アトランティックのレイモンド・スミス会長のオファーに乗るといっている。何かよほどのことを考えていなければ、ありえないことではないか」ともらしていたのが、今でも、鮮明に記憶に残っている。
ジョン・マローンも、レイ・スミスもともに、独禁法を甘く見すぎたということなのか。それとも、レイ・スミスの壮大な心変わりに、さしものジョン・マローンも切歯扼腕せざるをえなかったということなのか。真相は、どちらに近いのだろうか。本当のところ、ジョン・マローンは何を、ベル・アトランティックから期待していたのか。
ザ・ニューヨーカーの94年2月7日号の特集記事で、ケン・オーレッタが伝えるところによれば、ジョン・マローンにはかなりの焦りがあったようである。クリントン=ゴア体制下では、ケーブルテレビ会社に電話事業が認められるよりも、電話会社に映像配信事業を認めることの方がより早く実現するのではないかと、ジョン・マローンは苛立っていたというのである。ならば、電話会社と提携すれば、負けいくさを回避できるのではないか。そう、ジョン・マローンは考えたというのだ。
移動電話の大手、マッコウ・セルラーのCEO(最高経営責任者)であるクレイグ・マッコウからも、ジョン・マローンは、ベル・アトランティックのレイ・スミスとはいい関係を築いておいた方がいいぞ、と示唆されていた。
そもそも、情報スーパーハイウエイは手段である。それ自体が目的にはなりえない。機器・システムの供給メーカーや、国の産業政策担当者にとっては、むろんそれ自体がメシの種ではある。(アメリカでは、しばらく<産業政策>という表現自体が、実は御法度だった。しかし、特にクリントン政権になってから、アメリカでも、産業政策的な方向提示ということが意識的に行なわれるようになってきている) しかし、ユーザーや一般国民は、その経済波及効果などといったことについて、ゆっくりと考えている暇などない。本当は、「開けゴマ」のように、願えばすぐに叶ってほしいものなのだ。できるだけ早く、今より便利で簡単で(老人や子供も拒否しない)、魅惑的で、もっと安い、もっと親切で安心感のある、そんな情報高速道路なら、悪くないね!───である。
つまり、どうもないよりあった方がより好ましい、ということぐらいしか、まだはっきりとはわかっていないのである。
さて、そこで、MSOと地域電話会社の提携は、アメリカで、そんな情報高速を実現するための促進要因にはたしてなるのだろうか。ベル・アトランティックによるTCIの買収が決裂するまでは、日米中の新聞・雑誌がよってたかって、ケーブルテレビの黄金時代到来をはやしたてたものである。そして、今や、宴の後の何かが漂い始めている。むしろインターネットや衛星ディジタルにもっと注目するべし、という論調もわき起こってきている。
ちょうどその名前自体が、生まれた年の鏡となっている雑誌「WIRED」(創刊は、1993年)の94年7月号の表紙を飾ったのは、ブラック・レザーに身を包んで高速道路のセンターラインの上をこちらに歩いてくるジョン・マローンである。右手に持つのは、拳銃だろうか。重装備の「情報スーパーハイウエイの戦士」というイメージである。その特集記事の中で、ジョン・マローンは、デイビッド・クラインに答える形で、いくつかの興味深い指摘を行なっている。電話会社にとっての双方向テレビ・サービスの位置づけ、そしてベル・アトランティックとTCIの刺し違いに関しては、大要、こう語っている。
「情報スーパーハイウエイの話を初めて持ち出したのは誰か、御存知だろうか。双方向サービスを可能にする技術のことを、真剣に語っていたのは、誰だと思う。他でもない、われわれである。電話会社じゃないんだ。約1年前、地域電話会社のトップ全員と会って話をした時のこと、彼らは、異口同音にこういったものだ───『われわれが衝突しないで済むような方法は、何かあるんだろうか?』 彼らが恐れていたのは、電話の料率が下がるのではないか、ということだった」
ケーブルテレビ会社が、光ファイバーの導入などによって回線容量を上げ、低料金で映画サービスなどを始めたら、電話サービスなどは、その回線容量のほんの一部を使用するだけで提供可能になる。タダでも大丈夫、ということになるのである。ユーザーにとっては、こんなにいいことはない。だが逆に、電話会社は、存亡の危機を感じたということである。
「電話会社がケーブルテレビ会社を買収しようとしたのは、彼らが双方向サービスを始めたいと考えたからではない。いわんや、情報スーパーハイウエイを構築しようとしたためでもない。
伝統的な電話ビジネスを単に消極的に守るのではなく、要するに、攻勢に転じようとしたのである。機先を制しようとしたのだ。
93年の10月に一度、買収なると発表されながら、結局、泡と消えてしまったが、もともとベル・アトランティックとTCIの提携が情報スーパーハイウエイの構築につながっていくというとらえ方自体が、間違っていたと今は考えている」
穏やかならざる告白である。
では、電話会社から見れば、ケーブルテレビ界の巨人TCIたりといえども、たかだかちっぽけな成り上がり者に過ぎないのに、それだけのために、ベル・アトランティックはTCIを籠絡する必要があったのだろうか。否、否。
「ベル・アトランティックの攻撃の刃は、実は、他地域の電話会社に向けられたものだった。ケーブルテレビ会社と結託すれば、他の地域でも事業展開ができるということに、ベル・アトランティックのレイ・スミス会長は、目がくらんだということだ。もともと、7社のトップはいつも一緒にゴルフをし、お互い仲良し同士だが、レイ・スミスは、抜け駆けしようとした」
なんということだろう。
しかし、そうこうしているうちに、決裂である。レイ・スミスは、やはり、仲間割れを回避する方を選んだということだろうか。ジョン・マローンはスケール・メリットをあくまでも追及しようとしていた。どの地域電話会社が相手でもよかったのかもしれない。
しかし、アメリカ国内では、TCIはもう限界に近いところまでシェアを取ったので、量的拡大に関しては、これからは海外にもっと目を転ずるべし───今回のベル・アトランティックとの提携破綻は、ジョン・マローンへのそういうシグナルになったことだけは間違いない。
世紀の結婚と称された買収発表直後のニューズウイーク日本版、1993年10月27日号の記事「超大型合併で通信革命に先手」は、次のような書き出しで始まっていた。
「石油王ロックフェラー、鉄鋼王カーネギーといえば、教科書にも出てくるアメリカの偉大な実業家。ベル・アトランティック会長のレイモンド・W・スミスと、TCI社長のジョン・C・マローンも、その一人に名を連ねることになるかもしれない」
提携発表と破談の発表のたびにこのような文字が踊ることになれば、教科書は何冊あっても足りないだろう。アメリカには、FCC(連邦通信委員会)の規定により、この業界で、提携の可能性を探るためのミーティングが持たれたら、(そのことについて質問された時に)その事実を否定してはいけないという規則がある。したがって、この方面では、日本よりはるかに多くのニュース素材が提供されてしまうという、構造的要因があることも、覚えておかなければならないことである。
ともあれ、ベル・アトランティックとの交渉決裂直後に、ジョン・マローンは、疲れを知らない人間であるかのごとく、一連の提携構想・実験計画などを矢継早に明らかにした。そのエネルギーは、とどまるところを知らない。
- ■1994年3月 マイクロソフトと、CATVとパソコンを融合するサービスの共同開発を行なうことで合意。
- ■1994年3月 社内に国際部門やベンチャー・キャピタル部門を新設、独自でも双方向TVサービスに乗り出せるよう、機構改革を断行。6月をメドに、リバティー・メディアを再度吸収することも決定。
- ■1994年4月 イリノイ州マウント・プロスペクト地区の8800世帯を対象として、「インテリジェント・テレビジョン」という名称で、双方向CATVの実験を開始。95年には、シアトルとデンバーでも、双方向の実験サービスを開始する計画となっている。
- ■1994年4月7日 デンバー郊外ドライ・クリークに、「ナショナル・ディジタル・テレビジョン・センター」を開設。
ところで、ベル・アトランティックとTCIの蜜月が進行していたころ、パラマウント・ピクチャーズの買収をめぐって、バイアコムのサムナー・レッドストーンは、バリー・ディラーが率いるQVCとさんざん競りあっていた。しかし、結局、勝利の女神が微笑んだのは、ブロックバスターを途中で巻き込むテクニックなどが効を奏した、バイアコム陣営であった。
株式公開買い付けの期限であった1994年2月14日の深夜までに、パラマウント・ピクチャーズの発行済み株式総数の約75%の買収が確定したことを、バイアコムが、2月15日に発表。93年の9月から続いていた、QVCとの買収合戦に事実上の決着をつけた。そして、FCC(連邦通信委員会)からも、この買収を承認する旨の発表が、3月8日にあった。買収総額は、100億ドル強であった。
QVCとバイアコムの株価を単純比較すると、バイアコムの方が相対的にかなり強含みなので、潜在的な株価総額を担保に資金調達をするなら、バイアコムの方が決定的に有利であるという意見を、買収合戦たけなわなりしころ、私は多くのアメリカの業界人から聞いていた。友人のザイオン・ファースト・バンク(ユタ州)のオーナーであるデイビッド・シモンズも、「それは、もうはっきりしている」と語っていたものである。
さて、しかし、そのバイアコムによるパラマウント・ピクチャーズの買収について、早くも、次のようなことが囁かれ始めているのである。
「QVCとの競争の中でパラマウント・ピクチャーズの値段がつりあがったこともあって、短期の純貸借上、バイアコムに大赤字が残ることは間違いないだろう。そうなると、当然、その赤字のしかるべき部分をなんらかの形で切り離さざるをえなくなるに違いない。
こんな局面では、必ず、ジョン・マローンが登場してくるはずだ。しかも、さんざん買い叩かれることは目に見えている。おまけに、ジョン・マローンには、そのことを実行するための資産的裏うちがある」
もともと、QVCの背後には、ジョン・マローンの影がちらついていたのである。
番組供給事業の優先順位をあげてきているジョン・マローンは、おそらく妙味のあるものなら何にでもチャレンジするであろう。
門戸開放?
杉並ケーブルテレビは、ジョン・マローンの対日参入第1号となるプロジェクトである。
94年12月1日開業時には、当初、35チャンネル。BS、CS放送、VHF、UHFなど、どこにでもあるものばかりだ。営業は、94年9月ごろから始める。
4年4期に分けて、工事と加入勧誘営業を行なう。
12月1日開業時の対象世帯数は、7万8千。4期工事完了時には、対象世帯数は杉並区全域にわたる25万世帯となる。区の人口は51万5千人で、市の扱いでいくと、全国で20番目くらいの行政区域となる。面積は34平方キロで、諏訪のレイクシティー・ケーブルビジョン(LCV)と比べると、人口密度で、何と1500倍にもなる。
双方向サービスは、開業当初には、ケーブル・カラオケしか考えていない。ケーブル・カラオケも、本来は1万くらいの加入世帯がないと、事業的には妙味がないものである。しかし、加入促進にもつながる何か目玉がなければ特徴も出せないので、ケーブル・カラオケが最初から楽しめるよう計画されている。ケーブル・カラオケは、現在は、世の中に、パイオニアのシステムしか存在していない。既に、全国で9つのケーブルテレビ局に、パイオニアのケーブル・カラオケが導入されている。東京ケーブルネットワークが第1号だった。杉並ケーブルテレビは、第10局目となる。
各家庭からケーブルテレビ局への上(のぼ)りの信号伝送には、通常のプッシュ式電話機を使用している。局側では、無人でリクエスを受けつけることのできるシステムになっている。
アメリカのホーム・ショッピング・ネットワークのノウハウを利用した双方向ショッピングのサービス開始は、住友商事のアナウンスでは、1995年末である。
しかし、本格的な双方向サービスは、加入世帯がせめて4〜5万を超えてから、という意見も多い。
杉並ケーブルテレビの基幹伝送路の基本設計は、TCIが請け負った。
杉並ケーブルテレビの資本金は、現在、10億円だが、これを1994年末までには、20億円に増資する。増資後の時点で、住友商事が7億円(35%)、パイオニアが6億円(30%)とする旨の合意が既になされている。残りの株式は、杉並区の地場企業などによって保有される予定になっている。
住友商事では、歴史的にケーブルテレビ事業に高い優先順位を与えてきており、現在、支配下のケーブルテレビ局が20局、これに支配権はないが何らかの形で関与しているケーブルテレビ局を加えると35局ある。
杉並ケーブルテレビは、1993年から吹き始めた規制緩和の風を背に受ける形で、離陸体制を整えつつある。住友商事にとっては、念願の日本で初の本格的MSOを実現させるため、最強パートナーであるTCIの後ろ楯をえて、重要な試金石となる事業になるものだ。
また、ケーブルテレビ神戸(1992年4月設立、1994年11月30日本放送開始予定)の開局にあたっても、住友商事は、リーダーシップを発揮している。ケーブルテレビ神戸は、日本で初めて、ATM(非同期転送モードの交換機で、マルチメディア情報の効率的な伝送・分配には不可欠とされている)が導入されるケーブルテレビ局となる。光ファイバーと同軸ケーブルの混成システム、いわゆるハイブリッド・システムだ。ディジタル放送は、95年末から開始の予定。技術指導を行なうのは、やはりTCIである。(パイオニアは、ケーブルテレビ神戸に対しては、アドレサブル技術の提供にとどまっている)
ジョン・マローンもようやく着目した、日本のケーブルテレビ市場である。だが、これまで長期間にわたって続いてきた足踏み状態から、日本のケーブルテレビ市場ははたして、本当に脱出することができるのか。
わが国でケーブルテレビの加入世帯数が少ないのは、規制のせいばかりではない。加入時の高料金も災いして、肝心の家庭に、ケーブルテレビの端子がほとんど引き込まれていないのだ。都市型ケーブルテレビ加入件数は、1994年3月31日現在で、約162万9千でしかない(資料 郵政省)。最近の伸び率は比較的高いが、アメリカの6千万世帯に迫ろうという契約件数と比較するならば、まだまだ足元にもおよばない。そんな小さな池での、水遊びなど、ジョン・マローンの趣味にも合うまい。数字にうるさい彼のことだから、様子を見て、ドラスティックな撤退も当然、ありうる話である。
しかし、打てる手はすべて打ってくるだろう。それが、パートナーの住友商事の期待でもある。
タイム・ワーナーも、わが国で、USウエスト、伊藤忠、東芝と組み、400億円を投じて複数のケーブルテレビ局建設に乗り出すことを決めた。
TCIは、現行の規制枠ぎりぎりいっぱいの約30%を出資して、住友商事と合弁会社を設立し、MSOの経営母体とすることがやはり決まっている。タイム・ワーナーとTCIは、お互い、観測気球を打ち上げたということでもあるが、問題は、市場のパイ全体に、本当にジョン・マローンなどが期待するような成長の勢いがつくかどうかである。
パソコンのコンパックやデータベース・ソフトのオラクルが活発に展開し始めた、現地法人の猛烈な強化などと比較するならば、まだまだTCIは、日本市場への参入の敷居をまたぐかまたがないかの状態でしかない。イメージばかり先行しているが、残念ながら、まだ説得力のある海図は描けていないのだ。
アメリカのケーブルテレビ市場草創期を思い出して、ルールそのものを新たに創造するぐらいの横紙破りがなければ、さしものジョン・マローンといえども、日本のケーブルテレビ市場に金鉱脈を堀り当てることはできないだろう。
さらにいう。日本を、少なくともこのビジネスの展開に関しては、アメリカの51番目の州と飲んでかかるような胆力と豪腕がなければ、ジョン・マローンでさえも、日本ではまず成功しないだろう。パートナー?そういう問題であれば、日本でも、既にとっくの昔から日本型MSOが繁栄を謳歌していたであろう。
いや、むろん、その程度の理解力がジョン・マローンにないはずはない。
中途半端な考えで日本市場を金のなる木にしようとしても、無理だ。では、日本でマローン・マジックが通用しなかった場合は?
ジョン・マローンは、あっさりより肥沃な大アジア市場に転進するシナリオを、案外、心の中に思い描いているのかもしれない。■■■
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