マルチメディア怪物列伝

takMM7.htm
 
第2章
 
エド・マクラッケン(シリコングラフィックス会長)
 
〜もの静かな紳士は
3次元グラフィックスのチャンピオン〜
 
 
  

大統領の登用

 

テレビなどで見るエドワード・マクラッケン(以下、エド・マクラッケン)は、物腰おだやかで、むしろ研究者肌の知的紳士という雰囲気である。こういう人物に、アメリカの次世代形成のために大きな期待のかかっている全米情報基盤諮問委員会(NIIアドバイザリー・カウンシル)の共同議長職が託されるということに、時代を感じないわけにはいかない。

エド・マクラッケンは、94年2月に、3次元グラフィックス・コンピュータのトップ・メーカーであるシリコングラフィックス(本社、カリフォルニア州マウンテン・ビュー)の会長に就任したばかりであるが、なぜ彼が、全米情報基盤諮問委員会の共同議長に選出されたのだろうか。シリコングラフィックスに期待する、どういう必然性がアメリカ産業のうねりの中にあるのか。

37人の委員によって構成される全米情報基盤諮問委員会は、情報スーパーハイウエイ構想を推進する上で、政府規制の影響やプライバシーの問題について評価検討し、その結果をクリントン大統領にアドバイスすることになっている。この構想の推進は、アメリカ政府にとっては、アメリカ産業の一層の復権、国民の生活の質の向上、新規雇用機会の創出といった狙いに沿ったものである。

エド・マクラッケンが全米情報基盤諮問委員会の共同議長に就任するにあたって、同委員会の事務局長であるロナルド・ブラウン商務長官は、次のように述べている。

「米国の情報スーパーハイウエイをより確実に実現するためにも、ハイテク産業界において培ってきた豊富な経験やリーダーシップを持つエド・マクラッケン氏が、提言作成を強力にサポートしてくれることを期待している」

これに応える形で、エド・マクラッケンは、次のようなコメントを発表している。

「米国は、まったく新しい形の教育や労働や双方向の情報交換などを可能にしてくれる情報革命に、今、直面している。この新しい動きを次世代に向けて促進する立場に参画できることは、たいへん名誉なことである」

 

エド・マクラッケンが全米情報基盤諮問委員会の共同議長の要職に就任した背景には、93年以来、アメリカ政府関係者の間に広まった、NII(情報スーパーハイウエイ)の構築にはハイテク産業の復活が絶対条件であるという基本認識が指摘される。シリコン・バレーその他の地域で、この動きを推進するための、リーダーにふさわしい人物の選定を目的としたリサーチが実施された。

シリコングラフィックスが選ばれた理由は、相対的には小さいながらも、市場性、競争性にたいへん優れた技術を有しているという点である。他にも重要なファクターとして、未来の開発進歩への強固なコミット、ビジョンの確かさ、SBU(戦略的なプロジェクト・チーム)を中心とした柔軟な経営組織(その結果としてもたらされる迅速な意思決定、部門横断的かつ水平にタスク・フォースを組みやすいこと)、などが評価された。アメリカの次世代を支えるモデル企業として選ばれたということである。

93年2月には、政府関係者とシリコン・バレーを代表する企業のトップたちとの間で、一連の対話集会が持たれた。ある意味では、政府側からの表敬訪問でもあった。エド・マクラッケンは、そこで、シリコン・バレーを代表するベストの人物のひとりに選ばれたのである。

ビル・クリントン大統領とアル・ゴア副大統領が、シリコングラフィックスを訪問した時のこと。シリコングラフィックス側によるプレゼンテーションの中で、ブッシュとクエールの前正・副大統領がスクリーンの上に映し出された。それが、モーフィング(というスムーズな画像変換技術)によって、一瞬のうちにクリントンとゴアの姿に変身する。先端テクノロジーの話にそれまで真剣に耳傾けていたクリントン大統領であったが、この瞬間、その顔には思わず笑みがこぼれていた。

 

さて、エド・マクラッケンによる全米情報基盤諮問委員会共同議長への就任の受諾は、94年1月に行なわれたが、全米情報基盤諮問委員会それ自体は、94年4月以降になって本格的な活動を開始した。(もうひとりの共同議長は、全米公共ラジオ放送のデラノ・ルイス代表)

94年4月25日には、全米情報基盤諮問委員会の3つの大きな作業目標(メガ・プロジェクト)が発表された。(1)ビジョンとゴールの策定、(2)全米情報基盤へのアクセスの確立、(3)プライバシー、セキュリティー、知的財産権に関するルールの設定───の3つがそれである。各委員は、3つのうちいずれかの小委員会に割り振られることになった。

メガ・プロジェクトについて、エド・マクラッケンは、次のように述べている。

「3つの重要分野に検討課題をしぼり込むことによって、公私にわたる社会のさまざまな分野を代表している委員たちが、現実的に作業を完結できるようにしたい。われわれの作業目的は、情報スーパーハイウエイを地ならしし、すべてのアメリカ国民が、生涯教育、高品質のヘルス・ケア、商品売買の機会、そして私的・公的な安全を求めるにあたって、その便益が一層高まるようにすることである」

 

ところで、エド・マクラッケンは、「ジョイント・ベンチャー・シリコン・バレー」の共同議長でもある。この組織は、シリコン・バレー地区の活性化のための非営利団体である。この組織の代表理事は、ベッキー・モーガン。ベッキー・モーガンは、アプライド・マテリアルズのジム・モーガン会長の奥さん(かつ、元カリフォルニア州選出の上院議員。また、アイオワ大学の理事をやっていたり、複数の企業の社外重役をやっていたりで、たいへんな女傑)である。サンノゼの市長、スーザン・ハマーが、エド・マクラッケンとともに共同議長を務めている。その他、地元の財界、教育界、交通関係の要人がメンバーとなっている。いわゆる「21世紀の青写真」を実現するための活動を展開している組織である。

エド・マクラッケンは、「ジョイント・ベンチャー・シリコン・バレー」の共同議長職を受諾した93年9月に、次のように語っている。

「シリコン・バレーの推進力でもある技術開発の動きが、90年代以上に劇的であったことはかつてない。3年半ごとに性能比が10倍、10倍となっていく中で、競争性を保ち続けるためには、企業も業界組織も、あるいは国民ひとりひとりですらも、絶えず、仕事の方法を再創造し、再構築しなければならなくなっている。ジョイント・ベンチャー・シリコン・バレーに才能を結集することによって、われわれはシリコン・バレーの再創造に向けて前進できるだろう。この事例が、全米規模で、産業界と公的部門の協調活動の雛型になることを願ってやまない」

 

エド・マクラッケンは、1943年12月、アイオワ州に生まれた。少年のころには、フットボール選手になりたいという淡い想いもあったようだが、職業としては、エンジニア志望であった。アイオワ州立大学を卒業後、スタンフォード大学で経営学修士号を取得。

 

エド・マクラッケンは、母校のアイオワ州立大学の関連組織であるアイオワ州立大学財団の代表理事を務めるなど、公的活動も多忙をきわめている。

アメリカを代表する13のコンピュータ会社のCEO(最高経営責任者)によって構成されている「コンピュータ・システムズ政策プロジェクト」の監事会メンバーでもある。この組織は、貿易・技術政策の視点から見たコンピュータ業界の地位を高めるための、先導的役割をはたしている。

 

 

シリコングラフィックスの創業と成長

 

シリコングラフィックスは、スタンフォード大学の助教授だったジム・クラークが、大学での6人の教え子とともに、1982年に創業。ジム・クラークが在学中から暖めていた3次元グラフィックスの研究テーマ(「3次元リアル・タイム・グラフィックスを表示可能とするための、コンピュータ性能を向上させる半導体チップの開発」)をベースに、2年の時間が、商品化のために費やされた。

その2年が、シリコン・バレーを代表する2つの有力なワークステーション・メーカーである同社とサン・マイクロシステムズの、その後の市場での位置づけが決定的に異なっていることを象徴している。サン・マイクロシステムズもほぼ同時期に設立された会社で、互いに歩いて行ける距離にある。しかし、サン・マイクロシステムズはエンジニアリング・ワークステーションに重点を置き、シリコングラフィックスはグラフィックス・ワークステーションに特化する戦法をとった。

サン・マイクロシステムズは、当時、スタンフォード大学で既に稼働していたコンピュータをそのまま市場に投入したので、シリコングラフィックスが、世界初の3次元グラフィックス・ターミナル(IRIS1000)を発表した1983年には、既に2年におよぶ市場での販売実績があった。出遅れたかに見えたが、シリコングラフィックスのマーケティングの狙いは、もともと違うところにあった。

 

シリコングラフィックスの基盤をなしたのは、3次元グラフィックスに特化し、最高度のグラフィックス処理能力を持つその時代、時代のトップ・マシンで勝負するというポリシーである。そのポリシーを、ジム・クラーク(前会長)も、エド・マクラッケンも、強烈に肯定してきたことが、シリコングラフィックスのマーケティング・バリューになっている。かつて、コンパックなどと提携してパソコン市場にうって出ようとしたこともあったが、それら中途半端な発想は失敗に帰した。その失敗の苦さを思い出しながら、エド・マクラッケンは、「むしろ、あんなことにはまったくかかわるべきではなかった」(雑誌「アップサイド」94年8月号のインタビュー記事)とまでいい切っている。

 

エド・マクラッケンがシリコングラフィックスに参加したのは、1984年のことである。ヒューレット・パッカードに16年いて、コンピュータ・システム部門での要職を歴任した後の転身であった。シリコングラフィックスに参加後、直ちに社長兼CEO(最高経営責任者)となり、ずっとその職にあったが、1994年2月、ジム・クラークの退任とともに会長兼CEOに昇格。

ジム・クラークはエド・マクラッケンが参加するまでCEOだったが、エド・マクラッケンがCEOとなってからは、代表権のない会長となっていた。役割分担を明確に決めたということだろう。

ジム・クラークがビジョンを語り、エド・マクラッケンが実務を監督するという配役は、そのころに固まったものである。エド・マクラッケンは、ヒューレット・パッカード時代、ワークステーションを含むコンピュータ部門全体を管理する立場にいた。そして、最年少の役員ということでも話題を呼んだものである。そういうバックグラウンドを有するエド・マクラッケンは、シリコングラフィックスのCEOとなるや、研究開発も財務経理もマーケティングもわかるトップとして君臨することになる。

次のような読みの正しさが、その後のシリコングラフィックスの幸運を切り開いていくことになった───「シリコングラフィックスの本領は、あくまでも3Dグラフィックスにある。すべての分野で一番であり続けるのは、この複雑化した産業社会の中にあっては、もはや不可能である。自らが一番であると確信を持てるところで、とことんこだわり抜いてみよう。他の要素については、それぞれ一番のところから調達すればいい。つまり、テクニカル・グラフィックス・コンピューティングの土俵にこだわるということである。この分野がいかに大きくなろうとも、単価が100万円以下になろうとも、シリコングラフィックスはあくまでもこの分野にこだわる」

そういう思想に、エド・マクラッケンが思い定めたということである。

 

ところで、ジム・クラーク前会長のふるまいが目立っていた分だけ煙幕がかかっていたわけだが、この10年、実は、対外戦略の「判断」を行なってきたのはすべてエド・マクラッケンであった。外部パートナーとの提携関係や投資関連案件に関しては、すべてエド・マクラッケン自身が判断を下してきている。

たとえば、1989年に、シリコングラフィックスでは日本鋼管(NKK)からの出資を受け入れたわけだが、その戦略的な決断もエド・マクラッケンに帰属するものである。日本シリコングラフィックスの代表取締役である関本晃靖と常務取締役の荒川康久(現専務取締役)が現場から上げた提案に、エド・マクラッケンは注意深く耳を傾けた。安定株主および事業推進のパートナーとして、NKKの経営資源は申し分ないものであった。NKKの知名度が日本のユーザーに与える安心感は、マーケティングにも好影響を与えるだろう。関本と荒川の読みはそこにあった。アメリカ本社との綿密なやりとりの結果到達したNKKとの提携内容は、ワークステーションでの提携、半導体分野での提携、販売代理店としての起用などを含み、広範囲にわたるものであった。

その他の例としては、ダイキンへのOEM供給、タンデムへのサーバーのOEM供給などが指摘される。たとえば、タンデムでは、「ノン・ストップ・ワークステーション」ということをいっていたわりにはモノが弱かった。そこで、シリコングラフィックスからサーバーを出そうということになったわけである。シリコングラフィックスにとっては、売り先を確保することが重要であった。売り先の確保、すなわち基盤の確立であった。

要所要所の節目には、必ず、エド・マクラッケンありきであった。

 

 

社風

 

シリコングラフィックスの年商は、93年6月期の決算で、初めて10億ドルを突破した。そして、94年6月期の決算では、15億ドルに迫る数字を達成した。この勢いでいくと、95年度には、20億ドルを突破するだろう。シリコン・バレーを代表する、押しも押されもせぬ安定成長企業への滑走路を、シリコングラフィックスは、ダイナミックに離陸しつつあると表現して間違いないだろう。創業して10年強だが、既に、フォーチュン500の345位(1993年)にランキングされている。

アメリカ本社に勤める従業員の数、約2800人。全世界では、約4300人。過去4年の、売上平均成長率は38%だった。売上を地域別に見ると、北米が約50%、他地域が約50%で、ほぼ均衡している。日本が、10%強を占めている。

 

巨大企業となるべき滔々たる勢いはあるが、気風は、なお創業の混沌の延長線上にある。まさに、ハーバード・ビジネス・レビューのスティーブン・プロケッシュ編集主幹が「ハイエンド市場を支配し続けるカオス創出戦略」と規定した通りだ。

見るからにまじめそうなエド・マクラッケンであるが、会長室では、よくノー・ネクタイ、ラフなジャケット姿で執務しており、カフェテリアでスタッフたちともなごやかに談笑する人物である。会長室といっても、1階の角の狭い部屋で、そのすぐ横にあるもうひとつの狭い部屋が社長室である。会長室には、ファミコンなども置いてある。

日本シリコングラフィックスの関本社長は、エド・マクラッケンの人柄について、次のように語っている。

「エド・マクラッケンは、とてもきさくな男である。人を寄せつけないようなカリスマ性でリードするタイプではない。思いやりもあり、相手の動静に細かく対応してくる。塾考型であり、あまり出過ぎることはしない。二の腕までワイシャツの袖をたくしあげてガンガンやる、よくいるヤンキー・タイプではない」

 

しかし、仕事の現場は戦場さながらだという。エド・マクラッケンによれば、シリコングラフィックスの採用面接では、「シリコングラフィックスのスピードについて行けるかどうか」ということが絶対条件になるのだそうだ。

 

エド・マクラッケンは、スティーブン・プロケッシュの、「あなたがライトハウス(灯台)になりうる企業を選ぶ基準は何か?また、新たなパラダイム(価値・判断基準の枠組)を獲得するために、どの顧客がもっとも適切かをどうやって知るのか?」という質問に答えて、次のように述べている。

「3年ほど前、私は日産自動車を訪れて、技術統括の上級管理職に、彼らのニーズをよりよく満たすために、われわれに何ができるかを聞いたことがある。彼は、身を乗り出して、『今のコンピュータの演算速度と画像処理速度を10倍にしてほしい。もし、あなたがそれを実現してくれれば、われわれが設計工程をどのように変えることができるかを話しましょう』といった。・・・(そのように)強力なコンピュータがあれば、車の設計に必要な時間を大きく削減できると、彼は考えていたのだ。・・・その時点でのわれわれの製品にはそこまでの性能はなかったが、彼は、少なくとも10倍、できれば100倍のパワー・アップを望んでいた。そのようなことがあって、われわれは彼らが望む性能を実現できる技術の開発を行なうことができたのである。このような顧客を、われわれは求めている」(DHB、94年2〜3月号より)

いうならば、顧客の神聖な不満に、誠実に、フル・スロットル(弁全開)で応えようとするのが、シリコングラフィックスにおけるビジネス本能だ。タイミングを失わないというのは、マーケティングの鉄則でもある。

エド・マクラッケンは、「市場で誰よりも早く、顧客の先行ニーズに対応した製品を発表すること。これで、ニーズの上澄みの部分を相対的高価格でさらうことができる。かつ、この技術の先行性があるからこそ、売上の8割を占める普及商品のセグメントでも有利な戦いを展開することができるのだ」とも述べている。

 

ジム・クラークからエド・マクラッケンにバトンがタッチされた時、エド・マクラッケンは次のような声明を発表している。

「クラーク氏の貢献は、・・・永久に忘れることのできないものである。特に、双方向エンターテインメントといった新市場にシリコングラフィックスが参入できるよう努力を行なってきたことは、特筆さるべきである。・・・クラーク氏が、アプリケーション・ソフトの開発という次の分野でシリコングラフィックスとの新たな関係を選択したことに対して、氏の挑戦が成功することを心から希望する」

ジム・クラークは、シリコングラフィックス在職中に、持ち株だけでも40億円相当の財産を築いたとされる。ジム・クラークがスタートさせた新会社であるモザイク・コミュニケーションズは、今をときめくインターネットをより容易に操作するためのソフトの開発を目的としている。インターネットのための「モザイク」というソフトを1993年に開発したイリノイ大学の7人の学生たちとともに、ジム・クラークは、新たな夢にチャレンジする。いかにもアメリカらしい、勇気を奮いたたせてくれるような話である。

 

 

任天堂との提携の真意───チップ・ウオーズ

 

マイクロプロセッサーの世界では、現在、インテルがガリバー的なシェアを誇っている。世界で稼働するパソコンの8割に、インテルのマイクロプロセッサーが搭載されているともいう。

これを急追しようとしているのが、モトローラ、アップル、IBM連合のパワーPCだ。しかし、その潜在的な市場のパイは、インテルのそれの1/10しかないだろうといわれている。パソコン市場だけをマイクロプロセッサーの出荷先と考えるならば、この説にはかなり説得力がある。今8割のシェアを押さえている会社には、圧倒的な製造上のスケール・メリットがあることは間違いないことで、パワーPC単品の投入でどうなるというものでもない。(独占禁止法になぜひっかからないのか、現代の7不思議のひとつでもあるが)

次世代チップの戦いについては、インテルのペンティアムと、モトローラ、アップル、IBM連合のパワーPCが、正面競合するかのごときデモや、雑誌での比較記事が氾濫した。だが、純パフォーマンスの比較に関しては、多くの人間が、なお狐につままれたままである。アップルのデモによればパワーPCの方が上だし、インテルのデモによればペンティアムの方が上ということになる。奇妙な手品を見せられているようなもので、なかなか腑に落ちない。デモの条件設定が、同じではないようである。

パワーPCはRISC(縮少命令セット・コンピュータ)チップであるが、ペンティアムも単なるCISC(複合命令セット・コンピュータ)ではなくRISC的な要素も兼備した回路設計となっている。したがって、RISC対CISCという問題設定自体が、本質を見誤らせるものとなっている。

ただ、インテルでは、ペンティアム(P5=開発上のコード名))の次に来るべきP6は既に完成しているし、その次のP7の開発線表も既にきわめて具体的なものとなっている。

しかし、アップル陣営では、パソコン用の次次世代チップ、すなわちポスト・パワーPCの開発日程が、必ずしも明確ではない。この点は、インテル陣営の方が有利そうである。

さて、しかしながら、こういった議論の中で見落とされているのが、パソコンおよびワークステーション以外の情報家電製品でのマイクロプロセッサーの使用というファクターだ。現在は、高性能マイクロプロセッサーの使用は、ほとんどパソコンとワークステーションが対象である。しかし、今後もこのことが妥当すると誰が断言できるのだろうか。

 

エド・マクラッケンは、この点について明確な展望を示している。

「任天堂と64ビットのゲーム・マシンで開発提携したのは、ひとつには、一般個人市場でのミップス・プロセッサーの普及を願ってのことである。タイム・ワーナーとセット・トップ・ボックスの開発で提携したのも、同じような理由による。

そして、ソニーやNECがミップス・プロセッサーを使用しているので、われわれはたいへん勇気づけられている。多くの人たちが想像する以上に、コンシューマー・エレクトロニクス市場でのミップス・プロセッサーの利用は進んでいるのだ。この分野では激烈な戦いが展開されることになる。なぜならば、この市場向けのチップの数はとんでもないものだからである。何百万個では済まないだろう。間違いなく今世紀末を迎える前のごく短期の間に、われわれが確認することになるのは、コンシューマー・エレクトロニクス分野で使用されるマイクロプロセッサーの数は、パソコン出荷数の5倍、あるいは10倍にもなるということだ。つまり、そうなれば、コンシューマー・エレクトロニクス分野でのマイクロプロセッサー市場の大きさの前には、インテル製マイクロプロセッサーの出荷数など、むしろ矮小なものになるだろう」(雑誌「アップサイド」94年8月号のインタビュー記事)

 

なるほど、このコメントから読み取れるのは、シンプルだが、きわめて挑戦的な内容の果し状である。それは、おそらくこんな論理構成のものだ───(1)インテルが現在享受しているマイクロプロセッサー市場でのガリバー性を打破する。(2)RISCチップ陣営での覇権を狙う。(3)その場合、アップル陣営の軍門にくだるということはしない。(4)覇権を握るためには、コンシューマー・エレクトロニクス市場でのマイクロプロセッサー供給会社としてトップを狙う。(5)そのために、世界を席巻しているコンシューマー・エレクトロニクス市場の雄であるソニーや、NECや、任天堂との提携を深め、アライアンスの範囲を面に拡大する。

タイム・ワーナーとの共同開発も、世界最大のメディア・グループであるタイム・ワーナーの規模のメリットに乗ろうということだろう。

 

先程のコメントのすぐ後で、エド・マクラッケンは、次のように述べている。

「われわれが開発しようとしている64ビット・マイクロプロセッサーの利点は、ワークステーション用に使うものとアーキテクチャー的にはほとんど同じものになるということだ。この汎用性のメリットは大きい。ただ、ゲーム・マシンに使うモデルでは、1ユニットあたり25ドル〜40ドルのコストで製造しなければならないという違いはある。

この64ビット・マイクロプロセッサーは、ゲーム・マシンを超えて、双方向ディジタル・テレビのためのセット・トップ・ボックスにも応用することができるだろう。いずれも、いわゆるテレコンピュータ的なアーキテクチャーを使うものである。この分野は、われわれの業界では、最大の成長分野だと考えている。

しかし、この次世代チップの設計をするだけでは、シリコングラフィックスにとっての利益はそんなに大きなものにはならない。わが社にとって、ここ数年で最大の成長事業は、マルチメディアのさまざまな開発それ自体を目的に使用されるワークステーションの市場である。

このようなワークステーションと開発中のボックスに互換性を与えておくことには、大きな意味がある。さらに、これらのワークステーションやセット・トップ・ボックスは、すべてビデオ・サーバーにつながることになるわけだが、このビデオ・サーバーの市場は、もうひとつの巨大なチャンスをシリコングラフィックスに与えてくれることになるだろう。

先端的なセット・トップ・ボックスの開発プロジェクトに関わっていること自体が、ビデオ・サーバーへの要求条件についての理解を深めてくれるし、ネットワーク・システムの運営に関する知見をより豊かなものにしてくれる」

 

パソコンかテレビかというのは、もはやスフィンクスの定番の質問となった観がある。それだけに、マルチメディアに関わりを持とうとする企業にとっては、決して避けて通れない問題だ。近未来、より大きなダイヤの鉱脈が眠っているのは、どちらの選択肢だろうか。

エド・マクラッケンは、同じ雑誌のインタビュー記事の中で、要旨、次のように続けている。

「シリコングラフィックスとしては、一度パソコン市場でギブアップしたが、全体の流れの中では、インターネットなど、パソコンやその他のコンピュータの国際的なネットワーキングという大きな新市場が登場しつつあることは間違いない。しかし、それはビジネスに重心のかかった市場である。一般個人市場でのパソコンは、20%を説明するものでしかない。個人市場の残りの80%は、テレビに何らかの形でリンクする市場だと考えている。しかも、これからのテレビ市場には、双方向のネットワーキングの要素が不可欠である。テレビをネットワークする低価格の技術の開発には、巨大な市場性があることを、私は信じている。だから、その方向でのチャレンジを行なうことを宣言しているのだ」

ただ、この分野でのチャレンジは、シリコングラフィックスにとって、まったくの未体験ゾーンであることはいうまでもない。その点については、さすがのエド・マクラッケンも、「やってみるしかない」とつぶやくしかなかったはずである。

 

任天堂のチップ・メーカー泣かせというのは有名な話だ。シャープやリコーなどは、いつもチップを買い叩かれて、泣かされていたという。次世代ゲーム・マシンのチップに関して、セガは最初、NECのチップを使うつもりでいた。しかし、任天堂もNECチップに食指を動かしているということを知ったセガは、結局、NECチップを諦めて、日立のチップを使うことにした。日立にしてみれば、漁夫の利ということだったのか。

そのあたりのことについて、インテルジャパンの唐沢豊は次のように語る。

「任天堂は、既に周知の通り、NECのチップも蹴って、結局、シリコングラフィックスのチップを採用することになった。シリコングラフィックスの当該チップがモノになるかどうかは、任天堂のマシンが成功するかどうかにかかっていよう。

しかし、たぶん、それはないだろう。MPUの3大アーキテクチャーは、先日のライトサイジング・エキスポでもいわれていたように、(1)インテル (2)パワーPC (3)サン・マイクロシステムズのスパークである。成功の大小は、各方式のインフラの大小が決定する。インフラ(つまり対象となるマシンの累積出荷台数)の大小で見て、インテルを1とすれば、パワーPCは1/10、スパークは1/100である。ミップス・テクノロジーズは1/1000、デックのアルファは1/10000でしかない。デックのアルファには、デックの総合体力から見て、大きな可能性があるという議論が一部にあるが、そんなコメントは冗談でしかない。

インフラが小さいということは、製造ベースが小さいというだけではない。サード・パーティーやベンダーの数も少なければ、ユーザーの数も少ない、継続的投資のための資金体力も弱い、ということである。ミップスにもパワーPC陣営にも、そういう意味での強固なインフラが存在していない。だから、インテルにとっての敵であるとは見ていない。スケール・メリットが出せなければ、まともなエコノミック・サイクルなど成立するはずもないのだ。IBMはパワーPC陣営への加担によって、インテルに戦いを挑んだ形となっているが、IBMの中でも、IBM PCの人間は今でも親インテルであって、言ってみればIBMの内部分裂ともとらえるべき動きである。

ともあれ、インテルは負けない。シェアが増えると、カラに閉じこもろうとするメーカーが多い。すなわち、クローズト・アーキテクチャー(バーティカル)に傾きがちである。IBMのパワーPCにも、最近、バーティカルの匂いがたちこめてきている。しかし、私見だが、MPUの世界は、あくまでもホリゾンタル(すなわち、オープン・アーキテクチャー、オープン・スペック)に徹するべきではないだろうか。バーティカル化の傾向は、時代に逆行するものだと私は考える。いずれにしても、汎用プロセッサーの価格性能比の伸びはすごいので、基本的には100%ソフト勝負の世界である」

 

このコメントは、正攻法のマーケティングに勝るものはない、ということを雄弁に物語っている。

しかし、非パソコン市場でのMPUのマーケティングに関しては、幸か不幸か、インテルにもまだ経験値はない。エド・マクラッケンの直感の真価が問われるのは、ここである。いずれにせよ、ミップス・テクノロジーズのファクターが、エド・マクラッケンにとって、ダモクレスの剣であることだけは間違いない。ミップス・チップの市場性を証明できなければ、血を流さざるをえないリストラがシリコングラフィックスを待っているのだから。

それでは、証明できれば?

いうまでもなく、エド・マクラッケンは、ひと回りも、ふた回りも大きな新時代のヒーローになるだろう。

 

 

長期計画のない会社───変貌の兆し?

 

エド・マクラッケンは、「わが社には、18ケ月を超える事業計画というものはない」と断言する。

「この分野は商品開発サイクルが短いので、それ以上長期の計画には意味がない。開発目標が一度決まったら、担当チームはその実現に向けて全力疾走することになる。一度やると決めたプロジェクトは会社として必ず実現させるので、担当者におよび腰は無用だ。また、同じ開発目的のために複数のチームを競い合わせるようなムダなことはしない」

 

ただ、このようなコメントは、あまり額面通りに受け取ることはできない。たとえば、長期の展望なくして、1992年のミップス・テクノロジーズの買収などできるはずがないからである。また、従来のプロ向けのワークステーション・ビジネスとこれから高成長の期待できる一般個人市場のはざまでどう経営資源を適正配分するかということについても、かなりのシミュレーション作業が要求されるはずである。

企業としてのシリコングラフィックスが今後どういう方向に向かって進もうとしているかは、実は、最近の目立った対外的意思決定を拾うことによって、案外その一部をうかがい知ることができるのではないだろうか。

 

その重要な動きのひとつは、かつてあのロス・ペローが設立した会社であるEDSとの提携である。1994年4月4日に発表されたこの提携は、シリコングラフィックスの今後を占う意味で、たいへん画期的な要素をはらんでいる。この提携は長期にわたる戦略的な共同作業を進めることを目的としている。具体的には、急成長の期待されている商用データベースの並列処理市場の開拓が、この提携の焦点になっている。この分野から、両者とも、ここ数年で2億5千万ドルの売上を達成しようとしている。

このプロジェクトは、EDSの高度なデータベース・コンサルティング・サービス、システム・インテグレーション能力、そして「インテレクト」と呼ばれるデータベースと、シリコングラフィックスの「チャレンジ」という名前のネットワーク資源サーバー、高性能データベース技術などを連結させて、斬新で、劇的に時間節約の可能なデータベース環境を開発しようとするものだ。

ターゲットとなる産業セクターは、一般個人市場で活躍する世界企業である。たとえば、通信、運輸輸送、メディア、製造、小売、金融サービス業などがイメージされている。エド・マクラッケンが会長に昇格した時、スライドで社長に就任したトーマス・ジャモラックは、次のように述べている。

「商用システムのインテグレーションの世界において確立されたEDSの評価とリーダーシップは、シリコングラフィックスが『チャレンジ』シリーズを、新たに離陸しつつあるこの市場に波及させることを持続的に可能にしてくれるであろう」

 

94年になって、日本のNTTは、予定している双方向テレビの実験がらみで、シリコングラフィックスをパートナーとして選定し、共同開発の具体的な作業にはいることを決めた。また、AT&Tもシリコングラフィックスと合弁会社を設立し、ビデオ・サーバーとその関連ソフトを共同開発することになった。エド・マクラッケンは、着実に布石を打ち続けている。

なるほど、モルガン・スタンレーのアナリストであるスティーブン・ミルノビッチがいうように、シリコングラフィックスこそ、「コンピュータ・グラフィックス分野のマイクロソフト」なのである。ただし、とここで急いでつけ加えておかなければならないコメントがあった。ビデオ製作会社、コロッサル・ピクチャーズのディジタル・メディア担当ディレクターであるブラッド・デグラーフの言葉だ。

「シリコングラフィックスは、マイクロソフトに替わって、次の時代の業界の基本的な問題設定を行なうことのできる会社だ。マイクロソフトは悪の帝国である。しかし、シリコングラフィックスについては、誰もそのようないい方はしない」(雑誌ビジネスウイーク、94年7月18日号)■■■

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