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世界初のゲーム・コンピュータ
パトリック・マクガバンは、いつも夢見る少年だった。生まれたのはフィラデルフィアで、1937年のことである。知的探究心の旺盛なパットは、11才の時に素敵な本に出会った。エドマンド・バークレーの「ジャイアント・ブレーン」である。
「この本のおかげで、私は、人間の精神活動の素晴しさに初めて気がついた。われわれ人間の頭脳は、ちょうどステレオのアンプのような情報の増幅機みたいなものだということを教えられた」と、パトリック・マクガバンは、目を輝かせながらいう。
その後、マクガバン少年は、自分自身でコンピュータを組み立てることに熱中した。色々な部品を買ってきては、自分なりの設計図に従って組みあげてみる。その最初の成果が、チック・タック・トーという名前のゲーム・コンピュータだった。
世界最初の、ゲームをプレーできるコンピュータの誕生である。マクガバン少年が、弱冠15才の時のことであった。
1952年のことである。
世界最初のコンピュータ「エニアック」(弾道計算のために、ペンシルバニア大学の研究チームが開発。18、000本もの真空管が組み込まれていた)が作られたのが1946年のことだから、そのわずかに6年後のことであった!
いかに驚異的なことをなしとげたのか、おそらくマクガバン少年にも、その本当の意味はまだ十分に理解できていなかったかもしれない。「チック・タック・トー」は、発明コンテストでみごとに入賞。
「これは、世界で初めてのインテリジェント・ゲーム・プレイング・コンピュータというべきもの。その噂を聞きつけて私のところにやってきたのは、マサチューセッツ工科大学のスカウトマンだった」
幸運なマクガバン少年は、そのスカウトの推薦で奨学金をえて、マサチューセッツ工科大学に進学することになった。
「マサチューセッツ工科大学で私が研究テーマとしたのは、コンピュータの回路コストの将来における低減傾向について、というものだった。『チック・タック・トー』の延長線上のテーマとして、私にとって、これ以上にふさわしいテーマはなかった」
思想的バックボーン
マクガバン少年に特に大きな影響を与えた本が、他にも何冊かあった。ひとつは、ベンジャミン・フランクリンの自伝である。パトリック・マクガバンはフィラデルフィアで生まれ、教育はボストンで受けることになった。ベンジャミン・フランクリンは、ちょうどその逆、ボストンに生まれて、フィラデルフィアで勉学をした。その不思議な交錯が、パット(パトリック・マクガバンの愛称)の目には、何か特別なものを暗示しているかのように思えてならなかった。ベンジャミン・フランクリンには、出版への強い志向があり、コミュニケーションや技術にも深い関心があった。
「私の関心や活動領域ともかなり重なっていたので、いつも私は、ベンジャミン・フランクリンのことを意識していた。ベンジャミン・フランクリンの自伝は、私にとってもっとも印象深い本だ」
楽観的な成功への確信も、2人に共通の資質だろう。しかし、むろん、その楽観主義は、計算しつくされた中での楽観であって、決して無知な楽観ではなかった。
もう1冊の本は、ジョン・ネイスビッツの「グローバル・パラドックス」である。
「ひとりひとりの個人が大切なのだという意識それ自体が世界を支えているのだと考えて、間違いない。個人は、それぞれ貴重なセルであり、分権化されたセルの総体としての構造の中で、グローバルな社会が成り立っている。ちょうど人体のマイクロコスモスを見るようでもある。
私には、小さいころから<グローバル・ネットワーク>というコンセプトが、とてもたいせつだった。個人個人は、その中で自分自身の主人であり、自分自身の生活のコントロールを行なう。国は小さければ小さいほどいいし、企業組織やその他の社会的なグループもこじんまりしていた方がより望ましい。
情報の流通量は、約2年で2倍になるといわれている。単純に計算すると、約10年で情報量は30倍になるということだ。いわゆる情報の爆発は、ますます加速度的に進行している。そうなると、情報の総量に対して、当然のことながら、個人間で共有できるテーマの範囲は次第次第に狭められていくことになる。また、ラーニング・プロセス(学習のために必要な時間・手順)は長くなる一方である。
そうした中で、SIG(スペシャル・インタレスト・グループ=特定の課題に関心を持つ人間の集まり)のサイズは、どんどん小規模化していく。かつ、会計単位の適正サイズも、どんどん小さくなっていくだろう。可能な限り小さないわゆるプロトコル・ユニット(原型組織)を、たとえば1万ユニットぐらい積みあげて組織を構成するといった原理が、これからのグローバル・ビレッジの中ではもっとも効果的なものとなるのではないか。
真にポピュラリティーの高いリーダーをかつげる、いってみれば現代のユートピアのサイズは、5ー6千人の住民によって構成されるコミュニティーだろう。現代の国の単位は、アメリカでも日本でも、既に大きすぎるとしかいいようがない。アメリカの大統領は、真にポピュラーなリーダーであるとはもはやいえない。日本の自民党のリーダーが求心性を失っているのも、サイズの要素が大きいと思われる。巨大すぎるシステムの中で有機的で高潔なリーダーの質を保つのは、まったく不可能である」
パトリック・マクガバンは、一気に、だが限りなく穏やかに、これだけまくしたててみせた。ひごろ考えていたことを、ジョン・ネイスビッツの本がこの上もなく鮮明にいい切ってくれたことに対する、爽やかな感謝の気持ちすら感じさせるコメントであった。
創業のころ
パトリック・マクガバンは、マサチューセッツ工科大学在学中に、アメリカで最初のコンピュータ・マガジンを発行していた、ボストンのさる出版会社に籍を置いた。アシスタント・エディターのポジションだった。1959年、バイオフィジクスの学位を取得して、マサチューセッツ工科大学を卒業。卒業と同時に、出版会社でのポジションも、アソシエイト・パブリッシャーに昇格した。
「1960年当時の予測では、西暦2000年には、世界中で10億人もの人間がコンピュータを使用しているだろう、といわれていた。まさに世界の変化の中心はここにある、と私は確信した。私が籍を置いた出版社から発行されていた雑誌の名前は、『コンピュータ&オートメーション』である。製造業者などのリサーチをしながら、記事をまとめていた」
そこでみっちりと修行を積んだ若きマクガバン青年は、機敏に次のアクションをとった。IDGの基礎となるIDCを創業したのである。
1964年のことだ。
おりしも、海の向こうの東京では、東京オリンピックが開幕しており、日本も高度経済成長時代の入口に立っていた。
「IDCを設立した時、私はまず、IT(情報テクノロジー)市場で企業の支援ができるようなプロの人間を育成し、ニーズのある企業に送り込むことから始めようと考えた。次に考えたのは、この分野で有望な企業、人、プロジェクトに注目し、それを出版物の形で世界に広めることだった。そして、それもすぐ実行に移した。情報サービスそれ自体が、大きな成長分野であることが確信できたのである」
「コンピュータワールド」を創刊したのは、1967年。IDC創業から、3年後のことであった。
「最初、出版事業も純国内的な活動だったが、やがて海外でも展開することにした。すべては、到来する変化を予見し、それにどう応えるかという視点から着想したものであった。事業としての正しさは、その後、見事に証明されてきたものと信じている。世界の、そして人生の中でもっとも重要なことは、<生活の質の向上>である。ならば、社会の情報化がそこではたす役割の大きさははかりしれない。だから、この情報サービスの仕事にはほかにないやりがいがある。そう確信して、私は走り続けてきた」
いつもの、あの淡々とした語り口である。
「最初の3年間は、製造業者や購買者についてのマーケット・リサーチにウエイトを置いて仕事を行なったが、その後、出版やエキスポの開催の仕事の比重が高まってきた」
情報テクノロジー分野で世界最大の出版社
そのIDGは、今や、年商9億8千万ドルの企業グループにまで成長した。ホールディング・カンパニーであるIDGの下で、出版部門のIDGコミュニケーションズ、エキスポ部門のIDGワールド・エキスポ、コンサルティング部門のIDCなどが活動している。
まず、出版部門から見てみよう。
IDGのマガジンは、世界中で、どれくらい売れているのだろうか。
「毎月4400万人の読者が、なんらかのIDGによって刊行されたものを読んでいる。また、年間で、2億5000万冊を超えるIDG刊行の雑誌などが世界で購買されている。現在、約210種類のマガジンあるいはニューズレターを、IDGでは刊行している」
売れているマガジンの順番にランキングすると?
「『PCワールド』がナンバー1のマガジンだ。約100万人のサブスクライバーがいる。次に示すのは、上位にランクされるマガジンの購読部数である。
PCワールド ───────────1、000、000
ゲームプロ ─────────────600、000
マックワールド ───────────550、000
インフォワールド ──────────250、000
ネットワークワールド ────────150、000
コンピュータワールド ────────140、000」
この他にも、IDGでは、サンワールド、マルチメディアワールドなど、多くの優れた雑誌を刊行している。情報テクノロジー分野を対象にした情報発信に限られているとはいえ、、まるでダイナモのようなパワーだ。
IDGの出版物は、海外で販売される場合、決して単なる翻訳版として提供されるわけではない。たとえば、コンピュータワールドの最初の海外版は、1972年に日本で発刊された「週刊コンピュータ」であった。これは、日本人の編集スタッフによる、日本のクライアントのための、日本企業が関心を示すような話題についてのマガジンであり、コンピュータワールドの単純な翻訳ものではさらさらなかった。グローバルに発想しローカルに行動することを信条にしている人間のひとりであるパトリック・マクガバンは、その他の市場でも、まったく同じマーケティングの鉄則を貫いてきた。IDG成功の、重要な要因のひとつであることはいうまでもない。
情報テクノロジー関連の出版事業においてIDGの競合会社だといわれているジフ・デービスについて、パトリック・マクガバン会長の率直なコメントを聞いてみた。
「情報テクノロジー分野の出版事業は、14の分野に分けて考えている。IDGでは、そのすべてにおいて出版事業を展開しており、いずれもかなりの成功をおさめている。一方、ジフ・デービスの出版物がカバーしているのは、わずかに3つの分野でしかない。その3つとは、<PCマガジン><マック・ユーザー><PCプロ>の対象分野である。<PCマガジン>の分野では、ジフ・デービスの『PCマガジン』がIDGの『PCワールド』を少し上回っているが、<マック・ユーザー>の分野では、御存知の通り、IDGがジフ・デービスをしのいでいる。<PCプロ>の分野(IDGは『インフォワールド』、ジフは『PCウィーク』で、プロ・ユーザー対象)では、ほぼ互角だろう。その他としては、政府市場についての分野、情報システムに関する分野、ネットワークに関する分野、ワークステーションに関する分野、DTP(デスクトップ・パブリッシング=パソコンやプリンターなど卓上マシンにより簡易に行なわれる文書作成・編集処理・組版印刷)分野などがある。これらの分野では、ジフ・デービスは、一切出版物を出していない。
IDGは、世界62ケ国にオフィスを有している。これは、世界の購買力全体の98%に対応している。これに対して、ジフ・デービスがオフィスを有しているのは、アメリカはむろんのこととしても、ドイツ、フランス、イギリスの4ケ国でしかない。
違いは歴然ではないか。われわれは、早くから中国市場の可能性にも注目してきた。現状で、この分野の情報提供において、中国市場の90%のシェアをIDGが握っている。未来を予見することが、われわれのビジネスでもある」
IDGが中国に初めてオフィスを開いたのは、実に、20年以上も前の、1973年のことであった。マクガバンが、35才をすぎたばかりのころである。ニクソンが歴史的な米中国交回復を行なったのが、1972年だから、マクガバン青年のアクションは、まさに電光石火、きわめて先見性に富んだものであった。そのスピード感は、他の追随を許さないものであった。
同じような敏捷さは、東側ブロック解体の直後にも示されている。東欧圏の雪解け、ソビエト解体の流れを見たパトリック・マクガバンのアクションは、まさに雷雲迅速というにふさわしいものであった。東欧圏では、既に、スロバニア、ポーランド、ブルガリア、チェコ、スロバック、ハンガリー、ロシア、ルーマニアなど、多くの国に、IDGオフィスを設置完了している。ベトナム・オフィスも、1993年にオープンした。
旧東側ブロックが溶解した最大の要因は、衛星などの電波に乗って飛んでくる西側情報のリアルさにあった。東西間の情報ギャップのあまりの大きさに、住民の集合的生命が歴史的反抗を行なったということである。
そうであってみれば、今後の旧東側諸国の変貌に、また中国やインドに象徴される眠れるアジアの民草のさらなる目覚めに、IDG情報が、一層、重要な役割をはたすものとみて間違いないだろう。
エキスポ仕掛人
94年2月、千葉・幕張で第4回マックワールド・エキスポ東京が開催された。昨年、アップル・ジャパンは、日本でのシェアが14.3%に急進し、初日のレセプションでも、同社の幹部たちは、舞台の上で、桃太郎やキジや犬に扮装し、はしゃぎ回ってみせた。
そのレセプションで、最初に感謝のメッセージを述べたのは、他ならぬパトリック・マクガバンである。
大きな体に似合わぬ、しとやかともいえる身のこなしで、手ぶりをまじえて、やはり淡々と喜びを表現していた。
それを見ながら、あ、マクガバンの夢がマッキントッシュを育てたのかもしれないな、と思った。
一方、94年6月に、同じく幕張で開催されたウィンドウズ・ワールド・エキスポ東京は、3回目のイベントであったが、この主催もIDGである。日本工業新聞などと共催している。
マック陣営のプロモーション大会とウィンドウズ陣営の販促イベントの両方を、右手と左手に乗せるなどは、常人のなせるわざではない。まるで、お釈迦さまではないか。
いったい、トータルでいくつぐらいの情報テクノロジー関連のエキスポを、IDGは開催しているのだろうか。
第3回のウィンドウズ・エキスポ開催にあわせて来日中だったパトリック・マクガバンは、帝国ホテルの自室での会見で、頭の中の玉手箱からいとも無造作に取り出して見せるような口調で、次のように即答してくれた。
「向こう20ケ月の間に、64のエキスポを世界中で開催する。その内訳は、次の通りである。
マックワールド ─────────────────21
ウィンドウズ・ワールド ──────────────7
コミュニケーション・ネットワーク ─────────6
オブジェクト・ワールド ──────────────5
ユニックス ────────────────────5
スーパーハイウエイ・サミット ───────────3
その他 ─────────────────────17
その他の中には、コンピュータワールド、サンワールド、ディジタル・エグゼキュティブ・プログラム、ユニフォーラムなどが含まれている。
スーパーハイウエイ・サミットの第1回は、94年9月、サンノゼで開催するが、その後、海外での開催も検討している」
IT市場の精鋭コンサルタント
IDGのコンサルティング部隊は、IDC(インターナショナル・データ・コーポレーション)である。アメリカでは、情報テクノロジー産業のベンダー・セクターに関するマーケティング・リサーチとコンサルティングにおいては、圧倒的なシェアを有しており、他社の追随を許さない。国際市場でも、世界中に44のリサーチ拠点を有しており、IT(情報テクノロジー)市場におけるトレンドを占う、重要な役割を担っている。
マクガバンは、IDCのマーケット・シェアについて、やはり即答してくれる。
「製造セクターに関わるコンサルティングでは、IDCのシェアは60%である。データクエストのそれは35%。残りの5%を、多くの会社が分けあっている」
しかし、ユーザー・サイドに関しては、IDCの立場も劣勢である。
「ガートナー・グループのシェアが80%、IDCが10%、メタ・グループ(本社 コネチカット州スタンフォード。創業は、約15年前。企業の情報テクノロジー戦略にユーザーの意見を反映させることにたけている)が10%となっている」
IDGは、最近、マルチメディアに強いリンク・リソーシズ(拠点は東海岸)を買収したが、ユーザー・サイドの補強も、当然、視野にはいっていたはずだ。もちろん、マルチメディア関連のテーマに対する即応力を強化するという目的にもかなっている。
「IDGとしては、リンク・リソーシズと、1980年からおつきあいしている。当時は、スタッフも25人ぐらいしかいなかったが、現在は、50人ほどのスタッフである。代表者は、シーク氏という人物である。テレコミュニケーションやネットワークについては、ボーズ氏が担当している。リンク・リソーシズには、コンシューマー・マルチメディア、ビデオ・ダイヤルトーン/テレフォニー、インタラクティブCATV、教育、VAサービスなどの部門がある。特に、ホーム・コンピュータ、インテリジェント・テレフォン、ヒューマン・インターフェイスなどのテーマに強いチームである」
マクガバンは、そんな風に、リンク・リソーシズを位置づけてみせた。
成功の要因
様々な人にIDGの成功の要因について質問したら、異口同音に返ってきたのが、権限の分散(ディセントラライゼーション)というキーワードであった。
IDGコミュニケーションズ・ジャパンの平松社長は、権限の分散、リーダーの人間的魅力、間髪を入れぬ意思決定という3つの要素を指摘してくれた。
ところで、パトリック・マクガバン自身は、成功の秘訣を、次のように表現してくれた。
「創業して5〜6年は、経営の全部を自分が見ていた。しかし、そのうち権限委譲を進め、権限の分散こそ成功の要因のひとつだと確信するにいたった。
もちろん、マーケットのニーズを満たすための企業活動という鉄則を忘れてもいけない。
さらに、有能なチーム・リーダーのスカウトと適所配置ということも、きわめてたいせつである。現場、現場でのコーチ役の重要性は、いくら強調しても足りないくらいである。われわれは、チーム・リーダーのことを、やはりCEOと呼んでいる。チーフ・エンカレジメント・オフィサーのことで、現場を鼓舞するリーダーということだ。普通、CEOは、チーフ・エグゼキュティブ・オフィサーで、最高経営責任者のことだが、精神的にはそういう含みも持たせてある。
また、俊敏かつ機動的に学び続ける姿勢が不可欠である。”We
keep adopting good, new business customs and
practices.” さらに、情報共有が経営の死命を制するといっても過言ではなく、社内では、いつも経営情報へのアクセスのしやすさに配慮している。そして、経費の7〜8割は、未来への投資、すなわち開発投資だとも考えている。
貢献度の高かった社員に対しては、グローバル・セレブレーション・パーティーを、各地で、定期的に開いて、感謝と尊敬の念を惜しまないようにしている。
今日も、これからニュージーランドへ飛んで、スキーをする予定である。ニュージーランドで、マネジャー会議が行なわれることになっているのだ」
東京の94年6月は、ニュージーランドの真冬である。私は、ニュージーランドにスキーにふさわしいいい雪が降り積もっていることを祈った。
IDCのシニア・バイス・プレジデントであるデイブ・ベランテ(システム、記録媒体、ソフトウエア担当)は、パトリック・マクガバンの印象について次のように語る。
「自分がIDCに参加したのは、1983年。パトリック・マクガバンが感じさせた、すさまじいエネルギーと仕事に対する比類のない自己制御は、今でもまったく衰えていない。当時も、今も、変わらずこの業界を牽引する未来の予見者である」
ベランテもまた、IDGの最大の成功の要因は、権限の分散にあるとしている。
「IDGの組織は、とてもフラットなものであり、タテの構造がほとんどない。われわれのボスは、われわれのクライアントなので、ひとりひとりが自分のビジネスを経営する指揮官とならなければならない。裁量の範囲も広く、意思決定を行なうために長い稟議の手順を踏む必要もない。これに伴う最大の恩恵を享受するのは、われわれのクライアントだ」
現在、IDGグループの中には、80を超えるコーポレイト・ユニットがあり、それぞれにプレジデントがいる。ベスト・セラーとなった「自由奔放の経営」(原書「リバレーション・マネジメント」は、1992年刊)の中で、トム・ピーターズは、パトリック・マクガバンのユニークな経営スタイルについて、次のように述べている。
「IDGでは、分権の長(ローカル・チーフ)は無から有を創造しなければならない。...その方式がまさに機能したのだ。IDGの新規刊行物は、驚くべきことに、その3/4が、創刊後3年以内に利益を産み出している。パブリッシャーになろうとする人間がIDGに魅惑されるのは、起業家精神を満たす夢がIDGでは実現できそうであるからにほかならない」
2年前にパトリック・マクガバンにスカウトされたという、IDGコミュニケーションズ・ジャパンの社長、平松は、パトリック・マクガバンの人間的魅力を強調する。ソニーから、アメックスのバイス・プレジデントを経て、IDGに移籍した平松は、これまでの人生の中で、4人のビッグ・メンに出会っている。
「読売の渡辺恒雄社長、ソニーの盛田昭夫会長、アメックスのジム・ロビンソン、そしてパトリック・マクガバンの4人。
いずれにも共通しているのは、マネジャーとしての能力が卓越しているだけでなく、人間としての魅力にも溢れていることである。しかも、ネアカ。だから、その回りには、いい人間がいっぱい集まる。
たとえば、ボブ・メトカフ。彼は、ゼロックス・パーク時代にイーサネットの開発に携わった人間で、その後、3コムを創設、92年にIDGに参加した。現在は、IDGを代表するマガジンのひとつであるインフォワールドのパブリッシャーを務めている。
そのインフォワールドの編集長、スチュワート・アルソップもすごい人物だ。毎年1回、9月に『アジェンダ』という会議を個人の資格において主宰している」
ビル・ゲイツやローレンス・エリソンやエッカード・ファイファーなども参加する合宿形式のこの会議では、情報テクノロジー市場における近未来の重大案件が、さりげなく、ざっくばらんに、呉越同舟、白熱討議される。そんな会を不思議なカリスマ性で仕切っているスチュワート・アルソップでさえ、パトリック・マクガバンのもとに結集している。カリスマがカリスマを呼ぶという、あの典型的なパターンだろうか。
むろん、IDGには、この他にも、多くのユニークな社内インセンティブ・プログラムがある。予定年俸の50%程度をボーナスとして見込むが、そのボーナスの実際の支給額は、目標の達成率にリンクしている。給料500万円+ボーナス500万円のケースの場合、達成率が2割なら、ボーナスは100万円に減額されてしまうが、逆に達成率が200%なら、ボーナスは1千万円となる。
IDGの株式の35%以上は、既に、従業員の所有となっているが、今後、この比率は漸次高めていく予定だという。
パトリック・マクガバンによれば、「IDGの年商が30億ドルのラインを突破するころには、IDGの全発行済株式の50%以上を従業員が所有する形になっているだろう」という。
金色に光輝く未来を目指して───IDGの経営ゴール
「西暦2000年における、IDGのゴールは?」という私の質問に対して、パトリック・マクガバンは、自信に満ちた表情で、次のように答えてくれた。
「現在、グループの年商は約9億8000万ドルだが、これを35億ドルにもっていく。また、読者の総数は、現在、約4400万人だが、これを3億人に増やす。拠点数に関しては、現在の62ケ国から100ケ国に拡大する。
情報提供の形態に関しては、今後、ますます電子的手段の活用をはかりたいと考えている。現在は、95%がプリント・メディアによる情報提供となっているが、これを、西暦2000年には、電子的手段による供給が35〜40%となるようにもっていきたい。
情報スーパーハイウエイに関連した3つの重要テーマ、すなわち(1)情報コンテントそのもの、(2)トランザクション、(3)コミュニケーション───に関しても、なんらかの出版事業を考えたいと思っている。
要するに、現場の責任者が取引(トランザクション)を効果的に進めるための情報、経営幹部が意思決定をスムーズに行なうための情報などを提供したいという思いが、その根底にある。すなわち、インテリジェント・エージェントのサービスを提供するような、そんな仕事につながっていくのではないか。ショッピングを賢く行なう方法、誰から買うべきか、などといったことを当意即妙に支援できるようになれば本当に素晴しい。
もっというならば、情報のフローは、今後、単なる情報の提供から、魅力にあふれたコミュニケーションそのものの充実といったことに、重心を移していくだろう。
ビジュアルを多用したデータベース情報の共有なども、重要な分野となるに違いない。
西暦2000年の目標にしている35億ドルのグループ年商のうち、10億ドルは双方向の電子情報サービスになる可能性がある。
出版事業の場合、現状では、約50%が販売・管理費であるが、出版サービスの工程を電子化すれば、管理運営経費の比率を15%程度にまで圧縮できるのではないかと予測している。事業経営の立場からも、この利益構造の圧倒的改善は大きい」
今および西暦2000年を比較した時、IDGの売上構成比は、どのように変わるのだろうか。マクガバン会長自身のイメージを聞いてみた。
「今は、
雑誌出版(内5%が電子出版) ────70%
エキスポ ──────────────10
リサーチ ──────────────10
ブックス&トレーニング ───────10
こんなところだが、西暦2000年には、次のような見通しである。
雑誌出版(内35〜40%が電子出版) 58%
エキスポ ──────────────20
リサーチ ──────────────10
ブックス&トレーニング ───────12」
全体のパイの中で大きな比重を占める雑誌とニューズレターの出版は、ひき続きIDGグループの過半を構成する中核事業である。しかし、その4割近い部分が電子出版になるという読みは、他の有力出版社の中でもまだあまり共有されていないものだ。パトリック・マクガバンなら、やってくれそうではないか。
情報テクノロジー分野に特化した新鮮情報を、この分野に深い関心と関わりを持った読者に届ける強力なメディア群を誇るIDGは、電子出版のトップ・ランナーとなることを宿命づけられている会社でもある。
西暦2000年に実現していそうなIDGの企業イメージについて、パトリック・マクガバンは、次のように説明してくれた。
「それはまさに、ネットワークによって成り立つ企業というイメージだ。
そして、企業グループ全体の方向性を規定するのは、技術の進歩である。企業は次の時代への対応に悩み、革新を模索しているが、立ちふさがる障壁は、技術の進歩によって打破されるであろう。
コンピュータ同士のネットワーク化、洗練されてはいるが誰の手にも届くような情報通信能力、そして情報システムの戦略的活用が、まるで舞台の幕を切って落とすように、無数の新たな可能性を示してくれるであろう」
西暦2000年には、現在の年商の3.5倍以上に相当する35億ドルのグループ年商を目指しているIDG。
だが、同時にそれは、戦後の有力国際企業が歩んできた、ピラミッドのような階層構造を強化する方向での巨大化とは、決定的に違うものなのだという。ここが、マクガバン流だ。
「権限の分散(ディセントラライゼーション)は、われわれの成功の方程式の原点である。一定の権限を与えられたそれぞれの現場は、有機的な小規模組織であり続けることを求められている。これによって初めて、各現場は、絶えず市場の動きに直接身をさらし続けることが可能となり、新規の顧客開拓も容易になるのである」
今でも彼は、「スモール・イズ・ビューティフル」といい切ってはばからない。スモールであることを大切にしながら、グループ全体の年商の成長には飽くなき野心を燃やし続けるパトリック・マクガバン。
山登り、サイクリング、そしてテニスが趣味のマクガバン会長にとって、35億ドルの中期目標など、決して高い山ではなさそうだ。
IDGでのビジネスの成功によって、雑誌フォーブズの「アメリカでもっとも裕福な400人」のひとりに選ばれたこともあるパトリック・マクガバン。そのマクガバン会長が、帝国ホテルでのインタビューの最後に、皮のサックにはいった太い万年筆のようなものをプレゼントしてくれた。チャックを開けてみると、金色のミニチュア望遠鏡が出てきた。3段伸縮式になっており、その横腹には、HERES
TO THE FUTURE BEST WISHES PAT
McGOVERN と、さりげなく彫り込んであった。
「ありとあるここ、今から、金色の未来を探せ」───ということなのだ、これは、と私はひとりで納得していた。■■■
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