Newsmakers Collection
 
                     Paul Davids
   
 
                               
ポール・デイビッズ(ヤング・スターウォーズの原作者)
      〜胸ときめくような物語と世界の人々に愛される映画を〜
 
                           by   竹本 隆
 
                                  月刊「ポポロ」 1993年1月号 初出
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(プロフィール)
 
ポール・デイビッズは、1947年ワシントンDC生まれ。プリンストン大学卒。ハリウッドにあるアメリカンフィルムインスティテュート、第1期生。同期に、『ツインピークス』のデイビッド・リンチ監督もいた。(左の写真を追記している2004年7月28日)現在は、ロサンゼルス郊外のパサデナにある自宅とアリゾナ州セドナにある夏別荘を根城に、SF作家、映画製作者として活躍中。映画『ロズウエル』の製作者でもあるため、UFOの情報通としても有名である。また数年前から画家としても精力的に作品を描いており、各地で個展を開いている。左の写真は、1993年以前のものだが、ポール・デイビッズ(右)が最も敬愛してやまない俳優のひとりであるというロビン・ウイリアムズ(左)とは、業界のパーティーで、おりにふれて会話する仲である。
     
               
 スターウォーズの夢を活字で少年、少女たちに
 
 「映画『スターウォーズ』シリーズは、『スタートレック』シリーズと比較しても、そのキャラクターの素晴らしさと会話のユーモアにおいて、はるかに優れた作品です。そのスターウォーズを『ジェダイの復讐』で終わらせたくはありませんでした」
 
 そんなポールの提案に耳を傾けたルーカスフィルムは、ニューヨークのバンタム社から、この夏、ポールと妻のホレスの共著として『少年、少女のためのスターウォーズ』シリーズの刊行を始めた。現在6冊の出版が予定されており、日本でも偕成社から翻訳版が出る予定。
 
 「ルーカスフィルムのキャラクターを生かしたシリーズ本が、もっと出版されても、まったく不思議ではありません。なぜなら、『スタートレック』関連のものでさえ、すでに100冊を超える本が刊行されていますから」
 
 ビートルズとの出会いがポールの人生を変えた
 
 「プリンストン大学で心理学を勉強していた私は、作家志望で映画に心奪われながらも、医者になる準備を進めていました。精神医学に興味があったのです。
 しかし、1968年の夏に、ロンドンで過ごしたある夜の体験が、その後の私のキャリアを決めることになりました。それは、ビートルズの『イエローサブマリン』が劇場公開された日のことです。この日を境に、私は医学の道をあきらめ、クリエイティブに生涯を捧げる決心をしたのです。
 私はプリンストン在学中、心理学専攻の学生としては珍しいことですが、スコットフィッツジェラルド賞をはじめとして、大学が選考する3つの文学賞を総なめにしました。運もあるのでしょうが、それがたまたま、ハリウッドのアメリカンフィルムインスティテュートの有力教授の目に留まり、私は、奨学生の一人に選ばれたのです。
 同期生は15人。その中には『ツインピークス』のデイヴィッド・リンチや『ドラゴンスレイヤー』のマシュー・ロビンズなども含まれていました。また在学中に、エド・プレスマン製作の映画に、インターンとして参加することもできたのです」
 
 ジョン・ヒューストンへ最高級のビーフを届けて
 
 「卒業後、最初にビッグチャンスが訪れたのは1976年のことです。
 有力な映画製作エージェントの、ポール・コーナーが、台本選びのアシスタントとして私を雇ってくれたのです。そのクライアントには、チャールズ・ブロンソン、ジョン・ヒューストン、ヘンリー・フォンダ、ウィリアム・ワイラーなどが含まれていました。
 ブロンソンの台本には、そのすべてに関わることができました。また、ポール・コーナーは、そのころメキシコに住んでいたジョン・ヒューストン監督のもとへも、私を何度か派遣してくれました。それは、ジョン・ヒューストン用に用意された台本の内容について打ち合わせするのが目的でしたが、彼は人なつこい人物で、よくシュノーケリングに誘ってくれたものでした。
 でも、本当はもっと大切な役目があったのです。アメリカンステーキに目がない彼は、メキシコではいい肉が手に入らず、欲求不満でした。そこで、税関に顔が利いた私が、最高級のアメリカンビーフをジョン・ヒューストンに届けていたのです。それが私の最大の使命だったというわけです。密輸(smuggling)も、時効なのかな」
 
 当時、ポール・デイビッズは、ポール・コーナーのもとで、アメリカの国民的作家であるアリステア・マクリーンの作品の映画化(『ナバロンの要塞』ほか)にも尽力している。
 
 ダンス、アニメ、UFO、映画作家としての活躍
 
 しかし、ポール・デイビッズは、自分自身の作家としてのオリジナリティにも、確信を持っている。
 
 「1980年に、私はロバート・ドーンヘルム監督と出会います。彼は、ロシアの伝説的バレエダンサー、ニジンスキーの娘をテーマにした作品をつくろうとしていました。その台本を、私が書くことになったのです。それは、『彼女の孤独な踊り(仮訳/日本未公開)』という題名で公開されました。
 その後さまざまなアニメーションの仕事もしましたが、ロボット・アニメの『トランスフォーマー ザ・ムービー』は、特に思い出深いもののひとつ。最初は製作コーディネーターとして参加していましたが、結局、そのためのオリジナルストーリーをいくつか書くことにもなったのです」
 
 またポールが書いた『星きらめく夜(Starry Night)』というスクリプト----現代によみがえったゴッホをめぐるシリアスコメディー----は、現在、映画化の話が進められている。(2004年7月28日、更新時の注記: この作品は、その後しばらくして数億円の予算で映画化された。DVD版も制作されている)
 
 「UFOの研究家として著明なドン・シュミットとケビン・ランドルが書いた『ロズウェルのUFO不時着』の映画化も、HBO(CATV)で、まもなくスタートするところです」(2004年7月28日、更新時の注記: この作品も、Viacom の予算で映画化が実現した。確定時の円換算で6-7億円の予算であったと記憶している)
 
 これはポールが、原著者からその映像化権を買い取り、みずから脚色したものだ。UFOはポールの最大の趣味のひとつでもある。パサデナの自宅近くでも、数多くのUFO視認体験があるという。
 
 「私の生涯の夢は、これまでの努力の延長線上にあります。それは、自分の作品の多くが、世界中の人々に愛される映画になることです。新しい(子ども向けの)『スターウォーズ』シリーズもそのひとつですが、『宇宙の祭(仮訳)』や『E=MC2乗』といったSF系の作品も、温めているところです」
 
 世界中の子どもたちへ、心優しきメッセージを
 
 ポール・デイビッズの父親は、ワシントンD.C.にあるジョージタウン大学で、40年以上も外交史を教えていた高名な学者であり、クリントン新大統領の先生でもあった。ピューリッツアー賞を獲得したケネディ大統領の著作『勇気ある人々(People in Courage)』も、実質的にはポールの父親、ジュールズ・デイビッズ氏が書いたものだと考証されている。
 
 「父の書いた本は、いつも私に大きな影響を与えていました。そして、本を書くといういうことは、人間が為しうる最も偉大な行為だ、と、私はいつしか確信するようになったのです」
 
 この夏、ポールは、グランドキャニオンにほど近い、セドナ(アリゾナ州)の避暑地にあるセカンドハウスで英気を養い、世界の子どもたちのことや、地球環境への配慮について思いを深めた。
 
 「世界の子どもたちへのギフトブックになるような物語を、シリーズの絵本にしたいのです。それが『ワームちゃん』の物語。そのイメージソングのCDがすでに、日本で発売されています」
 
 ポール・デイビッズとその長女ジョーダン・デイビッズ原作の『ワームちゃん』。やがては蝶に変身する幼虫たちの物語には、自然への優しさ、子どもたちの好奇心の世界への思いが込められている。
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