デビュタントは社交界における外交大使
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- 「私の人生は、いつも舞踏会とともにあり、ニューヨークの社交界を抜きにしては、私の成長は語れません」
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- マーガレット・ジョイス・ヘドバーグは、ニューヨーク社交界を象徴する舞踏会である『インターナショナル・デビュタントボール(International
Debutante
Ball)』の代表を、9年前から務めている。
- 83年に他界したおばのベアトリス・ジョイスから、代表の地位を引き継いだ。ベアトリスによって54年に設立されたインターナショナル・デビュタントボールは、過去38年の間に、72の国を代表する2,000人を超すデビュタントを、社交界に送り出してきた。(デビュタントというのは、社交界の華としてデビューする女性のこと。また、ボールは、舞踏会を意味します)
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- 「国連の存在と、世界を短時間でつなぐ民間航空サービスの登場が、初めて、世界的な規模でのデビュタントボールを可能にしてくれました。それまでの社交界は、多かれ少なかれ地域的なものでした。華やかでロマンティックな雰囲気の中で、将来を期待される男女が生涯の友情や愛を誓い合えるような、そんな場所をプロデュースすることが、インターナショナル・デビュタントボール設立の目的でした」
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- 財政的には、デビュタントの家族によって負担される参加費、善意の企業および個人からの寄付金、チケットの売上金、デビュタントのメモリアルアルバムへの広告掲載料でまかなわれています」
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- ところで、どんな女性が、デビュタントボールに参加できるのだろうか。
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- 「出身国や、米国内からの参加の場合にはその出身の州によって、選定基準は異なっています。貴族制度の存続している国の場合には、貴族の名流の出ということが、ひとつの判断基準になります。外交官の子女が対象となる国もあります。ビジネス界を代表する家庭から選出される場合もあります」
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デビュタントボールには「メイフラワー号」の精神が
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- 「アメリカのデビュタントの場合には、メイフラワー号に乗って、初めてアメリカ大陸に入植した人たちの子孫や、独立戦争の英雄の子孫には、応分の敬意が払われます。著名な政治家、アメリカンドリームを体現した立志伝中のビジネスマン、地方の名家の令嬢が推薦されて、デビュタントとなります。
- 一般的には、デビュタント候補本人とその家柄が、デビュタントボール選考委員会のメンバー2人以上によって推薦されることが必要です。デビュタント候補の母親自身がデビュタントとして、かつてデビューしている場合には、推薦人はあとひとりで足ります」
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- 建国の理念に誇りを持ち、世界でのリーダーシップに対する自信に満ちているアメリカでは、歴史的な功績に対する評価をその子孫にまで及ぼすという伝統が、今でも比較的しっかりと守られている。文化防衛論とは、本来こういったものではなかっただろうか。
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- 「ボールの開催にあたって集められた資金は、一定の割合で、チャリティーとして献金されます。陸海空軍退役軍人クラブや米国白血病協会などが、献金先です」
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世紀のラブロマンスが生まれるデビュタントボール
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- 「ニクソン元大統領の娘トリシアは、未来の夫、エドワード・フィンチ・コックスと、インターナショナル・デビュタントボールで出会いました。私の夫であるグレゴリー・ヘドバーグは、エド・コックスと、プリンストン大学でルームメイトでした。グレゴリーを私に紹介してくれたのは、エドとトリシアのカップルです。デビュタントボールのカクテルパーティーでのことです。
- 夫のグレゴリーはミネアポリス出身です。アートに関しては百科事典のような知識の持ち主で、現在、ニューヨーク・アカデミーオブアートのディレクターを務めています。舞踏会の運営については、私を励まし、精神的な支えとなってくれています」
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- <歴史は夜つくられる>
というのは、けだし名言である。
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- 「インターナショナル・デビュタントボールの名誉会長を務めてもらっているスーザン・アイゼンハワーは、アイゼンハワー大統領の孫にあたる方です。彼女もその姉妹たちも、すべてデビュタントボールで社交界に出ました。
- そして、その娘(アイゼンハワー大統領のひ孫)たちも、すべてデビュタントになっています。
- ニクソン大統領のもうひとりの娘、ジュリー・ニクソンもデビュタントとなりましたが、そのエスコート役はデイビッド・アイゼンハワー(アイゼンハワー大統領の孫)でした。ジュリーとデイビッドは、その後、めでたくゴールインしています」
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- アメリカンエリートは、誇り高く、ロマンスを演出する。
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建国200周年には仏革命の英雄の子孫がデビュー
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- 昨年のインターナショナル・デビュタントボールには、アメリカ以外から14名、アメリカ国内から24名、計38名のデビュタントが参加した。各デビュタントには、それぞれ1名のエスコートともう1名のミリタリーエスコートがつくことになっている。
- エスコートは、デビュタントの友人か、主催サイドの選任による。ミリタリーエスコートは、国旗を掲げ雰囲気を盛り上げてくれる。
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- 「91年の舞踏会では、ビッキー・ジョイ・リビアが、アメリカを代表するデビュタントとなりました。彼女は、アメリカ独立戦争の愛国的英雄、ポール・リビアの直系の子孫です。
- ポール・リビアは、『ポール・リビア、深夜の騎行』という詩の中で、その不滅の勇気を称えられています。ビッキーの夢は、オペラ歌手になることですが、とっても素晴らしいソプラノボイスを持っているんですよ。
- ヨーロッパからも、アジアからも、南アメリカからも、中東からも、これまでに多くのデビュタントを迎えています。日本からは、57年以来、13名の女性がデビューしています」
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- ヨーロッパの名家には、ニューヨークで子女をデビューさせることを伝統的な行事にしているところもあるとか。38年間のデビュタントリストを見ると、ハマーショルド元国連事務総長の姪、タイ王室のプリンセス、ボリビア大統領の娘など、まさに国際的。
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- 「アメリカ建国200年の年の舞踏会には、フランス革命ゆかりの、ラファイエット侯爵家直系のサビネ・デュボアが、デビュタントとして駆けつけてくれました」
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- 今年(12月29日)、レスター・ラーニンの音楽に乗ってスポットライトを浴びるのは、どんなデビュタントたちだろう。ワルドルフアストリアホテルの大舞踏会場で、約40名のデビューが予定されている。
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