- 戦略爆撃と人道に対する罪
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- 戦略爆撃は、誰が、いつ始めたのか・・?:
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- 戦略爆撃というのは、軍事施設/軍人軍属をのみ爆撃するのではなく、戦時下にあって軍隊の兵糧/補給を担当する工業的施設や後方支援を担当する民間人のコミュニティーそのものをも組織的かつ戦略的に破壊することを目的とした爆撃である。航空機そのものが存在しなかった19世紀以前においては、むろん、戦略爆撃はなかった。戦略爆撃が史上初めて行なわれたのは、第1次世界大戦においてであったと言われている。しかし、戦争による死者の統計を見ると、第1次大戦においては、なお、軍人の死者数が民間人の死者数を圧倒的に上回っている。
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- ところが、
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- 中央学術研究所のサイト
- http://www.chuogakken.org/candana/0192_01.html
- 〜から引用すると、「第1次大戦では、800万の兵士と100万の民間人という割合だったものが、第2次大戦では、1,700万の兵士と3,500万の民間人というように、比率が逆転している」
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- 他の資料を見ても、戦争被害者数の軍民逆転は、第2次大戦において初めて人類史に刻印された、と表現して間違いない。非戦闘員の死者数の著増は、陸戦部隊による虐殺やホロコースト(民族抹殺)もあるが、航空機からの戦略爆撃が、その大きな原因のひとつとなった。日本では、第2次大戦によって、60万人(資料によっては80万人)の民間人が命を失っている(軍人軍属を含めた総死者数は300万人強)。これには、2発の原爆による死者、沖縄陸戦における民間人被害者、全国の都市を絨毯爆撃した焼夷弾ほかによる殺人のすべてが含まれている。
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- 戦争下でも非戦闘員を死傷してはならないというのは19世紀以前の戒律であったが、20世紀にはこの戒めが易々と放擲(ほうてき)され、世界中で、人道犯罪による屍が累々と山をなした。(ナチスドイツによるロンドンほかへの空爆に対する報復であると位置づけられている)対独戦略爆撃では、1945年年初には既に、ドイツの大中都市のうち無傷な街は2割ほどしか残されていなかったとされている。そして、45年2月13日には、あの悪名高いドレスデン大空襲が敢行された。ドレスデンでは3万5,000人が落命したとされているが、それよりはるかに大きい数字を引用する資料もある。(ドレスデン大空襲については、アメリカの作家/カート・ボネガットJr
に『スローターハウス5』という記念碑的作品がある。この作品は、映画化もされている)
- http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E7%95%A5%E7%88%86%E6%92%83%E6%A9%9F
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- それから間もなく、45年3月10日に、東京大空襲があった。関東大震災をはるかに上回る面積が焼失し、約10万人の死者を出した。(筆者・竹本隆の個人的見解ながら)遅くとも、この時までに、「これ以上の無辜(むこ)の国民殺傷があってはならない」とのご聖断のもと、日本の軍事政権は白旗をあげているべきであった。
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- 米軍機による最初の日本空襲は、開戦翌年の1942年4月、ドゥリトル中佐指揮のB25中型爆撃機16機によるものであった。(その模様は、ハリウッド映画『パールハーバー』=2001年ブエナビスタ、マイケル・ベイ監督=のヒロイックに描かれたエンディングシーンにもなっている) その後、空襲は、対日攻撃の中で重要性を増し、次第にエスカレートし、焼夷弾による空襲計画では、国内180都市が、空襲目標都市と設定されていたという。
- http://www1.ocn.ne.jp/‾susuma/bombing/bomb.htm
- http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/‾tamura/tokyoudaikuusyuu.htm
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- 1945年の正月が明けるまでに、日本の戦争遂行当事者は、現代戦においては、彼我(ひが)ともに、軍民大量無差別の戦略爆撃が手段として用いられる「事実」を知っていた。その事実の連鎖の前では、後知恵の法廷的思弁は、まったく無力と言うほかない。戦略爆撃は人道に対する罪だが、自国民の上にそのような大量無差別の悲劇の火炎が投げつけられるのを放置することしかできなかった、ある時期以降のわが軍事政権も、また同時に自国民を被害者とする人道に対する罪を犯したのである。
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- ところで、検索エンジンで諸種の資料にあたっているうち、誰が人類史上最初にシステマティックな戦略爆撃を行なったのか、という設問が繰り返し問われていることを知った。
- http://cityscape.air-nifty.com/cityscape_blog/2004/08/post.html
- 〜ほか
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- この設問には、もっと注意が払われなければならない。Wikipedia
には、「(戦略爆撃の)歴史は古く、第一次世界大戦時には既に投入されている」とあるが、次のような記録を見過ごしてはならない。この記録によれば、その主語は「日本軍」なのである。
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- 「日本軍による重慶爆撃は『戦略爆撃』なる名称を公式に掲げて実施された最初の意図的・組織的・継続的な空襲作戦であった。ドイツ空軍のゲルニカ攻撃より約1年遅れはしたが、1日限りではなく3年間
[引用者注: もっと長期にわたったとも言われる]
に218次の攻撃回数を記録した。(略)『重慶爆撃』は、東京空襲に先立つ無差別都市爆撃の先例であり、核弾頭こそ使われなかったものの、思想においてそれはまぎれもなく『広島に先行するヒロシマ』の攻撃意志の発現であった」(前田哲男 『戦略爆撃の思想』 正林堂テーマ館)
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- 東京大空襲やヒロシマ/ナガサキの前に「重慶爆撃」(1939-41年)(あるいは1938-43年とも)があった事実を、21世紀まで奇跡的に生かされたわれらは、判断停止することをやめて、真摯に受けとめ直す必要がある。
- http://www.ops.dti.ne.jp/‾heiwa/peace/report/re083.html
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- 「エドガー・スノー、アグネス・スメドレーらジャーナリストが、爆弾の降りそそぐ重慶に滞在し、多くの記事をアメリカの読者に送り届けた。『タイム』と、発刊したての写真雑誌『ライフ』は重慶に常駐駐在員を置き、セオドア・ホワイト、ジョン・ハーシー、そしてカメラマン、カール・マイダンスらの記事と写真を切れ目なく掲載した」
- http://homepage2.nifty.com/z-gaot/page25.htm
- http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2004/0406/hi-se.html
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- /のち、ジョン・ハーシーは、広島原爆の惨禍についても、今でも基本文献と言われる1冊を著すことになった。『ヒロシマ』がそれである。初出は雑誌『ニューヨーカー』の1946/8/31号。
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- 「日中戦争時、重慶は国民政府の臨時首都であった。抗日運動の拠点に対し、日本軍は執拗な爆撃を加えた。爆撃対象は住宅・学校・病院・外国の駐在機関にも及んだ。1938年から5年間にわたる無差別爆撃で死傷した重慶市民は約2万6千人。3万軒余りの家屋が破壊された。この重慶爆撃は戦略爆撃作戦の元祖と言われている。日本の『航空部隊使用法』(1937年制定)は、『もっとも重要なのは直接に住民を空襲し、敵に極めて大きな恐怖をもたらし、敵の意志を打ち砕くことである』と明記していた。つまり日本軍の行為は国際法を故意に踏みにじる戦争犯罪であった」
- http://www.mdsweb.jp/doc/851/0851_12a.html
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- ちなみに、原爆直後の映像資料のデータベース化が、一段と進んでいる。その中で、アメリカ戦略爆撃調査団(USSBS=the
US Strategic Bombing
Survey)のアーカイブが、かなりのカラー映像を提供してくれている。USSBSは、第2次世界大戦の終了した1945年の9月以降〜翌年春にかけて日本全国約60カ所を訪問し、映像撮影(スチル+動画)を行ない、各地の市民に録音インタビューを実施した。広島での取材/撮影は、終戦直後の45年9月〜、46年3〜4月など数回にわたり行なわれた模様である。
- http://www.rcc.co.jp/release/2000/0707_2.htm
- http://www.chugoku-np.co.jp/abom/99abom/kioku/990608.html
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- USSBSの日本調査隊を率いたのは、ダニエル・マクガバン中尉であったが、調査団には、日系のカメラマン・三村明も参加していた。またその著書『ゆたかな社会』『不確実性の時代』などで有名な、農業と経済の碩学であるあのJKガルブレイスも、
- USSBS調査チームのスタッフの1人であった(ただし、彼はドイツは視察したが、日本に関してはアドバイザー的役割に限定されていたようだ)ことを、2004年になって連載された『私の履歴書』(日本経済新聞)で私も初めて知った。戦略爆撃の効用について、辛口のガルブレイスが、どのようなコメントを残しているのか、念のためチェックしておいた方がよいかもしれない。
- http://moct.web.infoseek.co.jp/shimizu/chiikishi/chiikishi_10.htm
- http://www1.neweb.ne.jp/wb/settu/miscenaries/Galbraith.htm
- http://www.ndl.go.jp/jp/data/theme/senryoki/usb/usb15.html
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- USSBSによる調査レポート(撮影写真などを含む)は、しかしながら、爆撃の効果の判定のための判断材料提供に徹しており、なんらのヒューマンな感情をも感じさせないという批判が長年なされてきている。この批判は真実の一半をついているが、USSBSによって戦略爆撃による負の歴史が記録された事実をも過小評価するつもりはない。このことは、比治山の頂上に設置された旧ABCC(現在のRERF=(財)放射線影響研究所)が、被爆者の標本データの採集はしたが治療はまったくしてくれなかったという根深い怨嗟の感情を市民に抱かせた事実とも符合している。ABCCそのものも、既に歴史の一部となった。
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- USSBSによる撮影資料などは、長期にわたって、その故郷である広島に戻ってこなかったが、関係者のたゆみない努力によって、かなりのものが現時点までに「帰省」をはたしている模様だ。それらのアーカイブ資料を、ブロードバンド時代の今、どのような形で国民的に共有していくのかが、今後に課せられたテーマである。私自身、ほんの少し前の04/9/8の深夜に発見したばかりなのだが、「平和データベース」の構築には、近未来における、ヒロシマ体験に係る国境を超えたフルコミュニケーション(全身全霊による共感と対話)の可能性の片鱗を見ることができる。
- http://www.pcf.city.hiroshima.jp/database/
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- 動画のセクションには、アメリカ戦略爆撃調査団(USSBS)によるフィルムもアーカイブされている。そこには、廃墟のヒロシマの「原始的な」動画が格納されている! USSBSのコンテンツだけでなく多様なコンテンツを格納する「平和データベース」は、きわめて貴重なものだ。作業は進行形かもしれないが、今後の拡充に期待したい。
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- <<< 竹本隆
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- (以上は、南上さんの次のメールに触発された文章です。南上さん、ありがとうございました)
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- (転載許諾取得済み)
Re: 勲一等旭日大綬賞
- At 10:09 AM +0900 04.8.13,
Masakazu.Nanjo@unisys.co.jp wrote:
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- 南上です。
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- 別の観点からの情報です。
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- 2004/3/7 23:10〜 NHKアーカイブス「東京大空襲」:
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- 「東京大空襲」を始めとする日本各地に対する米軍
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戦略爆撃機B-29による空爆も、「人道に対する罪」に該当する米国が犯した「戦争犯罪」の一つです。日本軍の高射砲が届かず、迎撃戦闘機も辿(たど)り着けない高々度の上空から、遙か眼下
- の市街地に向けて、日本に多かった木造建築物の焼失に極めて効果的な焼夷弾をばら捲き、都市全体を住民諸共焼き殺した「本土空襲」。軍事施設も住宅地も全く関係なく、只々、敵国民である「ジャップ」(日本人)を皆殺しにする事のみを目的とした
- 無差別爆撃は、「原爆」に勝る共劣らない「人道に対する罪」です。
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- その「本土空襲」(戦略爆撃)の張本人であった米空軍参謀総長・カーティス=ルメイ大将に対して、昭和39(1964)年12月4日、日本政府から「勲一等旭日大綬賞」(勲章)が贈られていると言う事実です。何でも、航空自衛隊(空自)創設の功績が認められての事だそうですが・・・戦時中の「戦争犯罪」と空自創設の「功績」とを天秤にかけた時、果たして、どちらにより「重み」があったか等、考える迄も無い事であり、勲章なんぞを贈った当時の日本政府が、如何に「愚か」であったかを物語るエピソード。
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- 「しかのみならず、敵は新たに残虐なる爆弾を使用し、しきりに無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶところ、まことに測るべからざるに至る。」と言う詔勅を語った天皇自らが勲章を授与した。嗚呼!
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- 「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう希望する」「米軍の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借−二十五年ないし五十年あるいはそれ以上−の擬制にもとづくべきである」 (47・9、GHQ政治顧問シーボルトの「マッカーサー元帥のための覚書」。宮内庁御用掛の寺崎英成が天皇のメッセージとして伝えたもの)
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- 〈資料・1〉対日占領軍総司令部政治顧問シーボルトから国務長官マーシャルあての書簡(1947年9月22日付)
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- 主題 琉球諸島の将来にかんする日本の天皇の見解
- 国務長官殿 在ワシントン
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- 拝啓
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- 天皇のアドバイザーの寺崎英成氏が同氏自身の要請で当事務所を訪れたさいの同氏との会話の要旨を内容とする1947年9月20日付のマッカーサー元帥あての自明の覚書のコピーを同封する光栄を有します。
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- 米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利に大きくもとづいている希望が注目されましょう。また天皇は、長期租借による、これら諸島の米国軍事占領の継続をめざしています。その見解に
- よれば、日本国民はそれによって米国が下心がないことを納得し、軍事目的のための米国による占領を歓迎するだろうということです。
- 敬具
- 合衆国対日政治顧問 代表部顧問 W・J・シーボルト
- 東京 1947年9月22日
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- Best Regards,
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- 南上正和(広島学院6期) † Be Men for Others
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- Masakazu.Nanjo@unisys.co.jp
- m_nanjo@cts.ne.jp
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